蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

保坂和志著「未明の闘争」を読んで

f:id:kawaiimuku:20131031151204j:plain

 

照る日曇る日第634回

 

 

保坂和志選手が書いたこの素敵な題名の本を、まずはネコ大好き、イヌ大好きのあなたにお薦めします。

 

彼の小説は主体も時制も文法も無視して、彼が心に思い浮かぶ由無事と彼がどうしても書き遺しておきたいと願っている事象の両方をなんの計算も脈絡もなく、あっちにふらふら、こっちにふらふら、まるで牛のションベン長野県のようにいっけんあてもなくひたすら前へ前へと書きすすめたエンドレス・ランニングな書き文字の連続なんです。

 

されどエンドレスとはいってもそこはそれいちおう小説なので、突然死んでしまった友人篠島選手の亡霊の出現から始まって、そのラストのこれまた突然の再登場で唐突に終らせているけれど、話はほんとうは全然終わっていない。

 

無理矢理終わらせようとすればこの本のように537頁で終わらせることもできるけれど、彼はこんな小島信夫選手の道草大脱線小説の模倣のような、ジョイス風の意識の流れっぱなし小説のような、酔っ払いの小林秀雄選手のお笑い落語大講演会の語り口のような手法でもって、地球の裏の裏まで歩き続けることができたはずなんだ。

 

ここで小説家が目指していることは、彼の固有時の特権的な体験を正確に表現しながら再体験しようとする平成のプルースト的な試みで、実際彼が「チャーチャン」と呼べば愛する子猫は必ず「ニャアー」と答えるし、小学5年生くらいの3人の女の子が、彼が散歩させているジョンを「撫でさせて」といって材木座の海にジャブジャブ入って来たりすると波の音がする。

 

小説家がその小説の中の恋人の村中鳴海に、「この地図いいね、海ばっかりで」とか「楽しいから悲しいんじゃん」などと喋らせているのを読んでいると、彼女の声音まで聴こえてくるような気がするし、それだけでも彼の狙いは十分に成功しているのではないかと思われる。

 

しかし彼の願いはそこにとどまらず、彼のこれまでのすべての体験を、息を止めて一瞬一瞬くまなく手元に呼び戻し、それを一字一句細大漏らさず書き現し、そうしながらもういちどそれらの瞬間を生き直そうとするので、小説はどこまでも途切れずに続いていくんだね。

 

だから彼が書けば書くほど過去の記憶はあざやかに黄泉がえり、家族や家族も同様の動物や友人や恋人や人世への愛情は深まり、生きることの喜びと悲しみが主人公にも私たちにも押し寄せてくるのである。

 

 

意外にも大江千里が飛び出してピアノ弾きまくる「東京JAZZ」フェスティバル 蝶人

 

 

*毎日短い「本日のお言葉」を写真入りで呟いています。お暇ならフォローしてみてくださいな。

http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=291403&from=r_navi