蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

「大船」考


鎌倉ちょっと不思議な物語第153回

ところで「おおふな」という地名は、どこから来ているのだろうか?

縄文時代の大船はもちろんその大半が海没していたが、ほんのわずかな高地だけが現在の相模湾の岬を形成しており、そこには縄文人が棲んで魚介を収集して生活していた。

彼らは我々の想像を超えた偉大な航海者でもあり、当時としては非常に進んだ造船技術を駆使して縄文船を製造し、列島各地を海上交通していたが、ある日のこと現在の大船観音あたりに立って南の海上を遠望していた縄文人たちが一艘の丸木舟を発見し、「嗚呼船!」(oo fune!)と叫んだのだが、この感嘆符がなまって現在の「大船」という地名になったと言われている。

しかし私自身は、それよりも鎌倉の三代将軍実朝が宋に渡ろうとして由比ガ浜の海に造らせた巨大な渡宋船からその名が来ていると考えたくて仕方がないのである。


♪大船や大きな船がいま沈む 茫洋