蝶人戯画録

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森まゆみ著「旧浅草區まちの記憶」を読む


照る日曇る日第196回

森まゆみの本や文章は「矢根千」の時から好きで、なんでも好んで読んで後悔しない。私にとってはいまどき希少な作家である。

彼女の案内で旧15区(麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川)のうち旧浅草區を歩こうというのが本書の企画である。すでに神田を歩いているそうだが、未読。いずれそのうちに。

こういう年寄りじみた好企画を連発していた毎日新聞社の「アミューズ」もいつの間にやら休刊になってしまったようだ。勢いがあるのは右翼系のファシズム雑誌ばかりとは情けないやら腹立たしいやら。そのうち防衛庁のアホ馬鹿軍人どもがクーデターに打って出て政権を奪取し、日清日露戦争でもおっぱじめて新満州国設立にでも乗り出すのだろう。

おっといけねえ、ついまた愚痴が。そんなきな臭いことより江戸探しでござった。
誰かが過去は新しく、未来は懐かしい、とか口走っていたようだが、私はもう新しいことには皆目金輪際興味がない。そして最近どんどん死んでいく懐かしい人や失われた時代に無性に惹かれる。私はてって的な保守主義者であり、反改革主義者であり、現代に棲息する絶滅寸前の縄文人であるからして、過去の沈湎とした記憶や思い出、退嬰的なノスタルジーに心ゆくまで浸りながら急性アルツハイマーになって夢見るようにねんねぐーしながら安らかに死んでいきたいのである。

話が脱線したので万やむを得ずもうこの本の紹介ははしょってしまおう。読みたい人は読めば大いなる心の慰安を得るであろう。最後に、私がときたま東京を訪れるときの最大の楽しみは文人墨客の掃苔であることを告白してご挨拶にかえたいと存じます。ご静聴ありがとう。

♪楽しみは亡き母ゆかりの谷根千をひとり静かにさすらうとき 茫洋