蝶人戯画録

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鎌倉文学館で「吉田秀和展」を見る


鎌倉ちょっと不思議な物語第159回&♪音楽千夜一夜第52回

よい小春日和になったので、久しぶりに自転車を飛ばして長谷の文学館まで行って企画展吉田秀和「音楽を言葉に」を覘いてきました。

入口の紅葉が見事でみんな写真を撮っていましたが、それは見事なものでした。
しかし肝心の展示会場には中原中也の時と違って格別印象に残るものはなく、ただ秀和さんの来歴データや日本ハし日本橋で生まれたご幼少のみぎりから現在までのご真影や、生原稿や、著作が1階と2階の2つの会場にパラパラ並べてあるだけなので、ちょっとがっかり。考えてみれば、じゃあそのほかに何を展示すればいいのか私にも分からないが、イのいちばんの展示物が文化勲章というのはご本人にも失礼だし恥ずかしくはないのかい?

と、やや辛口のコメントを並べているのは、先月の15日に行われた「吉田秀和氏と音楽をたのしむ」という文学館の特別講演の抽選に外れてしまったからなんで。要するにひがんでいるのさ。しかし限定20名なんて確率が低すぎる。あんな狭い部屋なんかやめて広い庭園でやったらどうなのさ。海も太陽も紅葉も見えるし。

なんてぼやきながらもグールドのゴルトベルクが流れる旧前田伯爵邸を茫洋が茫洋と歩いていると、小林秀雄大岡昇平が秀和さんに宛てた葉書を見つけました。いずれも昭和30年代前半の発信です。
秀雄さんのは2通あって、いずれも秀和さんが送ったレコードへの礼状。1枚はデ・ヴィトーのヴァイオリン曲で、「やはりヴィトーは男性とは違う女らしさがある」と評し、もう1枚のグールドのそれに対しては、「極めて新鮮!」と大書してその驚きを率直に言い表しています。短にして要を尽くした達筆です。

これに対して昇平さんのは、まるでみみずがのたくったような筆跡で、「あなたは音楽界の中原です」と褒めそやしています。これはちょうどそのころ、秀和さんが雑誌にはじめて掲載した中原中也の思い出話を読んだ昇平さんが、自分のそれまでの中也論も裸足で真っ青になって逃げ出すくらいの卓論名文であると絶賛しているのです。
蛇足ながら、この中原という言葉は、中原中也の中也と野原(ここでは音楽界)の中心とを掛けているのですね。

しかし音楽について一家言のあった昇平さんは、ただ秀和さんを褒めるだけでなく、自分が最近書いたハイドン論に自信があったらしく。それをぜひ読んでくれ、と頼んでもいます。
 そういえば大岡昇平は「モオツアルト」はもう小林秀雄教祖にまかせて、生涯をつうじてハイドンバルトークに血道をあげ、現代音楽も聴きあさっていたことをはしなくも思いだした私は、いずれ昇平さんの音楽論もまとめて読んでみたいと思ったことでした。

♪文を読めば音が聞こえてくるそのような文を書きたし 茫洋

♪文を書けば己の血がでるそのような文も書きたし 茫洋