蝶人戯画録

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松竹は「石原都知事案による歌舞伎座建て替え」を中止せよ

勝手に建築観光32回

東京築地の歌舞伎座では、いま異例のさよなら公演を行っています。
1924年に建てられ、米軍機による空襲で被災し、50年に改修され、02年に国の登録有形文化財に指定されたこの由緒ある建物については、私もこれまでこの日記で再三触れてきましたが、その老朽化が進んだためにどうしても建て替えるというのです。

物には寿命があるので建て替え自体は仕方がないのでしょうが、親会社の松竹が都に申請した第1次建て替え案を石原東京都知事が却下したために第2案に変更したというので驚きました。

今回の計画に携わった伊藤滋・早大特命教授らによれば、当初松竹は現在の歌舞伎座の原型となった太平洋戦争前の歌舞伎座を復元する計画だったそうです。ところが知事が事前の調整段階で注文をつけて、私見ではこのきわめてまっとうな復元計画を己の一存で葬ったというのです。

28日附の朝刊にはその改定案の写真が掲載されていましたが、それはこれまでも丸ビルや表参道ヒルズなどで実施されていたオリジナルの一部を形式的に踏襲する中途半端な折衷案でした。しかし施主が当初目指していたのは、価値ある文化財を単に復元するのみならず、光輝ある歌舞伎の殿堂をより歴史に忠実に再現復古しようとする意欲的な方法論でした。

これはたとえて言えば両国の国技館の立て直しにあたって江戸時代の回向院の相撲小屋、連合軍の爆撃によって崩壊したドレスデンの国立オペラをその一時代前の様式で再建しようとする試みにも似た「本格的な復古再現建築」への挑戦でした。

わが国の最高の芸術のひとつである歌舞伎の聖なる殿堂を、「より新しく」ではなく、「より古く由緒ある姿かたちで再現、再創造」しようというこの歴史的な英断を、「銭湯みたいで好きじゃない」「オペラ座のようにしたほうがいい」などという一知半解の近代化論者の一声で取り下げるとはなんと愚かなことでしょうか。

逗子海岸の丘の上の豪邸に住み少年時代から金持ちのぼんぼんとして育ったこの人物は、おそらく生まれてから一度も銭湯などに入ったことがないでしょうし、宮大工が秘術を尽くして建造した全国各地の銭湯建築や、庶民のあこがれが生み出した富士山のタイル絵の実物を見たこともないでしょう。

東京千住「大黒湯」の絢爛豪華な外装と内装の華麗な宮造りスタイル、花鳥の絵が色彩豊かに描かれた格天井、大寺院にもひけをとらないその完成度を一度でも目にした人なら、「銭湯みたいで好きじゃない」などとは口が裂けても言えないはずです。そのような不遜な言い草は我が国が誇る「銭湯文化」に対する無知であり、いわれなき差別でもあります。

また歌舞伎はいわば日本のオペラで、西欧のオペラとほぼ同じころに誕生した芸能ジャンルですが、それぞれに深い歴史と伝統がありますから、それにふさわしい建築様式で敬意を表さなければなりません。とりわけ本邦の歌舞伎建築においては、オペラ座の大理石と鉄とガラスではなく、重厚な木と紙と漆喰の壁で構築しなければ長唄、下座音楽、義太夫、清元の音響がなじまないのです。

ちなみに現在の歌舞伎座の音響の精妙さは国立劇場はもとより、サントリーホールやカーネギーホールなどをはるかにしのぎ、世界の劇場でも有数のものであることをほとんどの人が知りません。知事がいったいどこのオペラ座を想定しているのか知りませんが、新歌舞伎座は断じて「オペラ座のようにしては」なりません。

また知事周辺は「建て替えに反対したわけではない。ただ劇場とビルの調和がとれていなかった」と話しているそうですが、この場合、調和を破っているのは、そんじょそこらのどこにでもあるモダンなビルのほうです。
古今東西にわたって永久不滅の銀座の象徴であるべき劇場が、もしもありきたりのモダンなビルと調和していたならば、そのビルの外装やデザインをこそ劇場(新歌舞伎座)に合わせて根本的に変えなければならないはずです。

銀座のランドマークともいうべき交詢社ビルや和光ビルの形式的な保存改装が、首都の建築遺産にどれほどの文化的損失を与えたかを考えるとき、残る唯一無二の「世界に向かって開かれた銀座の顔」をどのように維持・保存・強化するのかはきわめて重要な問題です。
わたくしはこの際松竹本社に対して、フランスや中国の文化に圧倒的に無知で無理解な知事のアホ馬鹿勧告を勇気をもって退け、今回発表された改造案をただちに白紙撤回して当初原案に基づく新改築計画に復帰されることをせつに望むものです。

時こそ今は 傾け歌舞伎座



♪今こそは天下分け目の関ヶ原松竹は断固石原案を退けよ 茫洋

歌舞伎座やオリンピックごっこする暇あらば新銀行の算盤弾け石原都知事 



萩耿介著「松林図屏風」を読んで


照る日曇る日第225回

見るたびに日本絵画の底知れぬ磁力に引き入れられる「松林図屏風」であるが、この六双の名品を描いた長谷川等伯を主人公とする時代小説が本作である。

絵師一族とその生涯を取り巻く時代背景をじっくりと調査し、そこから浮かび上がった創作の秘密に大胆な推理と想像を凝らして偉大な芸術家の真実に迫った手際はあっぱれ。第二回日経小説大賞を受賞したのもむべなるかな、といえがばいえようが、まずはタイトルと主題で得をしている。

思いがけないどんでん返しやら時代考証的な意外性も随所に盛り込まれ、飽かせずになんとか最後まで引っ張っていく構想力と筆力はたいしたものだと思うが、さてそれで読後になにが残ったのか。これが信長、光秀、秀吉、家康の治世を生き抜いた絵師のほんとうの生きざまだったのだろうか、と問い返せば胸の裡にうすら寒い空々しさが垂れこめている。どうせ騙すならもっと徹底的に騙して欲しかった、となにやら歌謡曲のうらめしいリフレーンのような木霊が返ってきた。

根も葉もない嘘っぱちを書いていかにもありそうな話だと得心させたら小説として大成功だが、そこそこ根と葉のある話を徹頭徹尾得心させることも意外に難しそうなのである。


♪どうせわたしをだますならさいごのさいごまでだましだましつづけてほしかったあ
茫洋