蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ビゼーの「カルメン」を観たり聴いたり


♪音楽千夜一夜第58回

 ジョルジュ・ビゼーは1875年にモーツアルトと同じ35歳で死んだ。活躍した時代は1世紀近く離れており、その作風も作品の数も違うが、その音楽の純なること、歌の直截さ、そして泉のように汲めどもあふれる旋律の美しさという点では、似ていないこともない。ともかく素晴らしい音楽と歌が次々に出てくるのである。

 ところで、ビゼーの歌劇「カルメン」の第4幕の大詰めでは、表題役のジプシー女(最近ではロマというそうだ)が、恋に狂う元伍長のドン・ホセに執拗に復縁を迫られるのだが、断固として哀れな男の求愛を拒否するところが、どこか騎士長に「悔い改めよ」と強要されて三度ノン、ノン、ノンと拒んでついに地獄落ちしてしまうモ氏の傑作「ドン・ジョバンニ」の終幕と似ている。もしかしてビゼーが真似(引用)をしたのではないだろうか。

 ここのところを2つの映像で見ると、演出と指揮を兼ねたカラヤン・ウイーン国立歌劇場soによる1967年の劇場映画版(グレース・バンブリーのカルメン、ジョン・ヴィッカーズのドン・ホセ)よりも、07年の新国立劇場版(ジャック・デラコート指揮東フィル、マリア・ホセ・モンティエルのカルメン、ゾラン・トドロヴィッチのドン・ホセ、鵜山仁の演出)の方が第2幕の空間設定と共にはるかに勝っていた。

カラヤンという人は交響曲や管弦楽では破綻が多いが、(77年普門館日本公演ヴェートーヴェンの5番、6番の超レガート奏法でいっぺんで辟易)、ことオペラではつねに満足できる演奏をする不可思議な指揮者であるが、調子に乗って演出や映像監督に手を出すとこれがまたいつも失敗に終わるので有名だった。

そのことはビルギット・ニルソンが自伝で「彼はちっとも歌の練習をしないで舞台美術ばかり熱中している」と文句を言っていることでも分かるし、この劇場映画の第2幕のダンスでマリアンマ&スペイン舞踊団を起用したのはいいけれど、肝心の音楽と舞踊のリズムがばらばらであることにも如実に表れている。
しかしカラヤンの音楽と歌のなんと生命力にあふれていること。ジャック・デラコート指揮東フィルなぞ足元の爪の垢にも及ばない。

カラヤンは歌手をのびのびと歌わせている。後にベルリンフィルと入れた時はアグネス・パルツアだったが、この劇場映画版のカルメン役はグレース・バンブリー、1964年に同じウイーンフィルと入れた時はレオンタイン・プライス(「クリスマスの歌」の名盤あり。お相手のドン・ホセはフランコ・コレルリ、ミカエラは劇場映画版と同様ミッラ・フレーニ)でいずれも黒人だった。1987年ただ1度だけウイーンフィルの元旦コンサートに出演した時もキャスリーン・バトルという黒人のスーブレット・ソプラノを起用して「春の声」を歌わせていたから、結構黒人の声の魅力をかっていたのだろう。

そのグレース・バンブリーは2年前に来日してなんと70歳記念コンサートを行ったがすでに往年の面影はなく、時間にルーズで我儘なためにジェームズ・レバインからメットを追放されたキャスリーン・バトルも次第に活躍の場を失いつつあるようだ。



己の屁の臭い嗅ぐああ生きておる 茫洋