蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

鎌倉の「やぐら」を訪ねて


鎌倉ちょっと不思議な物語第165回

鎌倉ガイド協会が主催する「やぐら」探訪シリーズの第3弾に参加しましたので、ここしばらくはその報告をしたいと思います。なお、これから記述する内容は、同協会制作の資料とツアーコンダクターの斉藤顕一氏のコメントに小生の感想を随時付け加えたものですあることをお断りしておきます。

「やぐら」とは中世鎌倉を取り巻く山稜、山腹を穿って造られた横穴式墳墓のことです。ここは小さな石造りの仏殿であり、埋葬、納骨のための墳墓窟でもありました。
この埋葬、納骨は、当時の人々が浄土を求めるひたむきな願望の表れとして営まれたものですから、やぐらは単なる岩窟ではありません。こうしたやぐらのある谷戸全体を聖なる宗教的空間としてとらえる必要があるのではないでしょうか。

さてこのやぐらに埋葬されたのはまずは僧侶たちであり、次にはその僧侶を尊崇して同じ場所に葬られたいと願っていた武士たちであると考えられています。これらのハイソサエティに属するエリートたちはその大半が火葬にされ、やぐらの内部に丁重に葬られましたが、それ以外の一般大衆はほとんどが海岸の近くに土葬にされました。彼らの身体は清浄な海の砂によって清められたと考えられます。

ちなみに現在由比ガ浜のすぐそばにある駐車場や消防署、京急バスの事務所や裁判所などの地下には、これら鎌倉時代の民衆の無数の遺体が発掘されました。私は以前これらの発掘現場に行きましたところ、由比ガ浜の地下数メートルのところに3人の親子と思しき全身の骨が、相模湾の夕日に照らされていた荘厳な光景を忘れるわけにはいきません。


親子三人手と手を取り合い海辺の墓地に死すさながら西方浄土にあらずや 茫洋