蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

「世界自閉症啓発デー」に寄せて


バガテルop93

今日は「世界自閉症啓発デー」なので、渋谷区神宮前の「東京ウイメンズプラザ」では朝からシンポジウムなど数々の記念式典が行われていることでしょう。

そもそも今を去る20年前には、自閉症とは脳の先天的な器質障碍、具体的には中枢神経系統の機能障碍を原因とする認知や知能やコミュニケーション等の多種多様な不具合であるとは誰一人思っておらず、医師も世間も10人が9人、心因性の病気だと決めつけておりました。

つまり自閉症というのは、心のどこかの具合が悪くて四畳半の押し入れの奥に引きこもる文字通り「自閉的な」病気であり、その原因は親の躾や育て方のあやまちにあると考えられていたのです。そういう意味ではこの四半世紀の私たちの孤立無援の、それこそ「必死」の取り組みは、ようやくある程度の収穫をもたらしたように思われます。

しかしこれほどの脳ブームを迎え、脳の医学的な研究が急速な進歩を遂げた現在においても、依然としてこのしょうぐあいの本当の原因は究明されていませんし、脳のどこの部位のどのような機能の障碍であるかも解明されていないことは非常にもどかしく、この無様なていたらくがいつまで続くのかと残念無念でなりません。

このしょうぐあいの人々は、いかに見かけが普通ぽくとも、天下の悪法「障害者自立支援法」が勝手に決め付けているような「一人前の健常者として自立すること」などなまなかのことではけっしてできませんし、従って彼らには「生涯にわたる介助者の同伴」が不可欠なのです。「もしも自分が死んだらいったいこの子の面倒は誰が見てくれるのか」というのが、自閉症児者を持った親たちのいちばん大きな悩みなのです。

それはさておき、最近どういう風の吹きまわしか「発達障害」なる言葉が独り歩きしているようです。

自閉症に近接すると称されているさまざまな障碍を、なんでもかんでも「発達障害」のグループに入れてわがこと足れりとする人たち。個々のしょうぐあい者の違いやきめ細かい個別的対応をぜんぶネグレクトして、やれアスペルガー症候群だの高度自閉症だの低級自閉症だののいかにももっともらしいレッテルを貼る偉い人たちがあちこちにいらっしゃるようですが、じっさい自閉症を発達障害のひとつに数えたとしても、それは言葉だけの言い換えに過ぎず、単なる気休めに過ぎません。

「発達障害ごっこ」はもうたくさん。そんなことより私たちは目の前の愛すべきしょうぐあい者と親しく向き合い、なんとかお互いのしょうぐあいを全うしたいだけなのです。

君の言葉君の振舞いいささか奇妙なれども天からの贈り物とて忝く受けむ 茫洋