蝶人戯画録

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背広の値段 


ふあっちょん幻論第42回

明治20年代当時、もりそばは1銭5厘、下宿代3円50銭、フロックコート仕立て23円、英国地フラノスーツは16円であった。そこで高価な1着であらゆるTPOに対応するべく、明治の洋服は礼服(主にフロックコート)需要に集中したのである。

明治22年、正岡子規は、「3年前に8円で作らせた軍艦羅紗の外套が粗悪品だったので12円で上等品を仕立てた」と彼の随筆「筆まかせ」に書いている。
この頃の注文服は大卒初任給の給料と同額であったが、これはその前の時代の「仕事着としての和服」を月給を前借りして1か月分の値段で仕立てていた伝統が残ったものと思われる。

ちなみに昭和3年1928年の大卒初任給は50円。これは当時のオーダーメードと同額であり、きわめて高価な「高嶺の花」ともいうべき価格であった。そこで「着心地より丈夫で長持ち」の思想が生まれる。

私の知人で最近バーバリーのコートを大枚をはたいて買った女性がいるが、「一生物を長く大切に着たいから買った」と言っていた。
衣服にも資産価値を追求する思想をinvestment clothingというが、これはファッション誌「ハーパースバザージャパン」の最新号のテーマであるから、およそ100年近く威力をふるっている衣装哲学であるといえよう。


♪着古したセーターが人間より長持ちする考えてみれば不思議だなあ 茫洋