蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

山本兼一著「利休にたずねよ」を読んで


照る日曇る日第257回

戦国時代の人物像がくっきりと浮かび上がってくる手腕は見事

お茶の大家である千利休さんが太閤秀吉さんに殺されるまでの顛末を、利休の運命的な恋をふとい縦軸に据え、信長、秀吉、家康、堺の茶人衆など多彩な同時代人をほそい横軸に置きながら、巧みなプロットと華麗な文体で鮮やかに描きました。

特に主人公を取り巻く茶人武野紹鴎、山上宗二、古渓宗陳、万代屋宗安、長次郎、黒田官兵衛、今井宗久などの人物像がくっきりと浮かび上がってくる手腕は見事で、著者の努力と研鑽のあとがうかがえます。

そうして異国の運命の女との間を結ぶ一本の赤い紐がこの偉大な茶匠の芸術を生涯にわたって支え続けたのか、とあやうく思いこみそうになるほどです。

しかしよく考えてみると、そんな馬鹿な話はありません。戦国大名三好長慶の求めに応じて村田紹鴎が高麗の李氏ゆかりの美女を誘拐するというのです。これは日本帝国全盛の第2次大戦中ならば日常茶飯事でしたが、安土桃山時代では歴史的にみてもほとんどあり得ません。

その拉致し来った絶世の美女に横恋慕した若き日の利休が、彼女を盗み出し、追い詰められてわが手に掛けてしまい、それが生涯のトラウマになって……なぞというあほらしいプロットは、大胆な推理というよりは、ほとんど奇想天外な与太話の類でしょう。
それをともかく最後まで読ませる著者の旺盛な筆力には脱帽のほかはありません。さすがは本年の直木賞を受賞しただけのことはあります。

驚くべきことには、筆者はこの小説の叙述の時間的な順序を転倒し、あえて利休切腹の当日から遠い過去に向かってさかのぼるかたちで語っていきます。この斬新かつ意欲的な試みを評価することにはけっしてやぶさかではありませんが、これはあまりにも奇をてらいすぎた形式ではなかったでしょうか。

あえて時間のベクトルを逆に設定したために、累積する因果関係が不透明になってしまいました。前に進行するはずの物語は推力を失い、たえず中空にぶら下がって停滞するためにせっかくの読書の醍醐味が半減です。またタイトルも意味不明のみょうちきりんなもので、全然よくありません。堂々とノーマルスタイルで勝負してほしかったと思います。


♪いろいろと死にたき理由はあるらめどこの朝ばかりは飛び込むなかれ 茫洋