蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

今年初めての海水浴


バガテルop106&鎌倉ちょっと不思議な物語第200回

ほんとうは金曜日に行きたかったんだけど、あいにくの天気だったのでそこはなんとか我慢して、今日も午前中は雨がぱらついていたけれど、午後になると少しは空も明るくなってきたので、お父さんとお母さんと僕の3人で由比ヶ浜の海に行きました。


海に向かって走っているカローラの中で、お父さんが「例の夏休みの歌を歌ってよ」とそそのかしましたが、その手は桑名の焼き蛤。僕はもう子供ではないのです。とてもじゃないけど、できませんよ。プン、プン。

いつも優しいお母さんは、走行距離がすでに地球の何巡りにも達したカローラを楽しそうに運転しながら、そんな2人のやりとりを笑いながら聞きていましたがいつものようになにもいいませんでした。

そうこうするうちに早くも由比ヶ浜です。
中央監視所の上には青い旗がへんぽんと翻っています。浜辺には去年と違ってやたら立派な海の家が立ち並んでいましたが、今日のお天気のせいもあってほとんどガラガラ状態です。

僕は浜辺につくやいなやズボンを脱いで浮輪の真ん中に太った体を突っ込むと、浜辺を全速力で走って海に飛び込みました。
あ、忘れていた。僕は金槌で全然泳げません。

が、この浮輪はものすごく大きいし、星条旗のデザインはものすごく派手でどこからも目につくし、もしも浮輪がパンクして溺れそうになったとしても、監視所のお兄さんが大きな双眼鏡で僕のことをしっかり監視していますから、すぐに駆けつけて救助してくれるに違いありません。お父さんはあてにならないけど……。

そのお父さんは、「今日は若潮という潮目で、これから小潮から大潮に向かうところだ」とお母さんに偉そうに解説していましたが、それがいったいどういうことなのか僕には全然わかりません。

いつもより少し冷たいけれど、浮輪につかまって緑青色の海に浮かんでいると、最近のきびしい世の中のことも、つらいお仕事のことも、お父さんやお母さんが死んでしまった後、僕がどうなるのかということも、嫌なことはすっかり忘れることができるのです。

気がつくと広い由比ヶ浜の海に浮かんでいるのは僕ひとりでした。ホンダワラヤヒジキやボラの親子がときどき僕のおなかの周りをすり抜けていきます。お父さんとお母さんははるか向こうの砂浜で二人揃ってクワクワとネンネグーしているようです。

僕はたった独りで相模湾という少し塩からいお風呂に入っているんだと思うと、なんだか心の底から愉快な気持ちになってきたので、僕が昔子供のころに作詞作曲した「夏休みの歌」を大海原に向かって歌いました。

♪あ、どこ行くの? あ、どこ行くの? こ、と、し、の、夏休み

若潮の海を沖まで泳ぎけり 茫洋
若潮を掻き分け沖まで泳ぎけり
若潮の塩のにがりの強きこと