蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

「大庭みな子全集」第1巻を読んで

照る日曇る日第276回&遥かな昔、遠い所で第87回

「三匹の蟹」と聞いて思い出すのは、遠い昔のある情景です。

私たち三人の孫を率いた祖父は須知山だかどこかの街道筋の山峡のバス停でいつ来るとも知れぬバスを待っていました。待っても待ってもバスは来ません。車も来なければひとっこ一人通りかかりません。
退屈し切った私たちはバス停の傍を徘徊していましたが、道端の溝に小さな水たまりがあり、その水底に何匹かの沢ガニが静止しているのに気付きました。

私は幼い弟と妹を呼んでその愛すべき生物の発見を喜びましたが、いざ捕獲しようとすると彼らが左右の武装した手で幼児の攻撃を威嚇し、防御する猛々しさにひるんでしましい、溜息をつきながら彼らが勝ち誇って発する大粒の泡を見つめるほかはありませんでした。

するといつの間にか孫たちの傍に来てその光景を眺めていた明治生まれの祖父が、いきなり持っていたステッキを水中にグイと差し入れ、しばらく左右に動かすと薄い赤と白に染め抜かれた子供の目にはかなり大きな一匹の沢ガニが杖に噛みついたまま地上に引き上げられてきたではありませんか。

私たちはワッと歓声を上げてその獲物を取り囲み、バスがやってくるまでの相当長い時間を十分に堪能することができ、それ以来私たちにとって祖父の杖は「おじいちゃんの魔法の杖」となったのでした。

しかし、この作家の文名を一躍高からしめた「三匹の蟹」に登場するのは、丹波の山奥の淡水に潜む沢ガニではなく、アメリカ産の海のカニであり、「三匹の蟹」とは六〇年代の米国に滞在している鬱屈した日本人の学者妻カニと夫カニと妻を誘う米国人男性カニの3点セットであり、最後に米国人男性カニが日本人女性カニを連れ込もうとしているバラック連れ込みモーテルの名前なのです。

夫にも嫌気がさし、異国暮らしの己の生活にも不満を覚え、訳がわからぬ外国人連中とのパーティの不毛さにも飽き果てた主婦……。触れれば落ちなんその風情は、アントニオーニの映画のヒロイン、モニカ・ヴィッテのアンニュイな世界を彷彿とさせます。

しかし、生と性のはざまで微妙に揺れ動く空虚な心と体に忍び込む「桃色のシャツの男」とは、そも何の象徴でしょうか? また、苦しげにふつふつと泡を吹く3匹のカニたちは、それからどのような運命をたどったのでしょうか? 

それを知るためには、この「三匹の蟹」の第1部「構図のない絵」と第2部「虹と浮橋」、それからその続編として書かれた「蚤の市」を併せて読む必要があります。
「三匹の蟹」という本の第3部を成し、なぜか芥川賞をかち得た「三匹の蟹」という、今読めばなんということもない古色蒼然とした短編は、著者が述べているとおり「ほんの手すさびの習作」にすぎないのです。


♪みなそこのわがしんちゅうにたぎるものおんとえんぬぱんちーる 茫洋