蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

野地蔵


鎌倉ちょっと不思議な物語第202回

御所見直好という人の書いた「鎌倉路」(集英社文庫)というガイドブックほどミクロに徹した鎌倉案内書もそうざらにはないでしょう。類書などでは歯牙にもかけない名所旧跡の脇の、その奥を探訪し、そこに棲む生物や四季折々の草花まで記録にとどめているのです。

たとえば私が住んでいる十二所の神社の前の道路に、朝から晩までぽつねんと立っているお地蔵さまですが、これについても詳しい説明を加えているのには驚くほかありません。以下、原文のまま引用します。

「新金沢街道から十二所神社の参道にかかるその路傍に、あちこちが欠け落ちて、原形もさだかでない石の野地蔵がポツンと立っている。これは江戸末期(文政・弘化年間)のころのことか、鼠木綿の着物、手甲、脚絆に身を固めて厨子を背負い、鉦を叩いて家ごとに銭を乞い歩きながら、諸国を遍歴する六部が、たまたま通りがかりに、近くの高木家の馬に蹴られて死んだ。地蔵はその六部の回向に高木家が建てたもので、四季折々の野花が供えられている。」
地蔵さんのすぐそばには確かに高木さんが住んでいますが、当地にはそのほかにも何軒かの高木さんが存在しており、一族のどの家が地蔵を供えたのかは不明です。

しかしある時、急病に罹った高木さんのおばさんが九死に一生を得たとき、このお地蔵さんが枕元に現れたと語っておられるそうですから、きっと前世の因縁が現世で報われたのではないでしょうか。ちなみに高木さんちの息子さんとうちの息子は、小学生時代の同級生で、少年野球チーム、十二所ファイターズのメンバーでした。

♪蝉時雨いっさんに走り抜けるぬける熱き心よ冷たき頭よ 茫洋