蝶人戯画録

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恐るべきトライアングル


♪音楽千夜一夜第77回

リストのピアノ協奏曲などは最近ほとんど耳にする機会もなくなりましたが、20年ほど前にはかなり人気があって時々演奏されていました。

ある日都の乾の方角にあって、教授陣の大半が2流、3流ではあるけれども、学生と演劇とオーケストラが1流であることでつとに知られる大学の、その交響楽団でチエロを弾いているK君と一緒に、くだんの曲の演奏を聴きました。
なんでも会場は新宿厚生年金会館で、ロジェストベンスキーが指揮するモスクワのやたら暴満な音響を発するオケだった、とうろ覚えに覚えています。

そしてこのやたら騒がしい名曲がいよいよ第3楽章に入ってしばらくすると、それまでは左手奥の大太鼓の影で鳴りを潜めていたトライアングルが、主役のピアノや打楽器や金管楽器ともども狂ったように打ち鳴らされ、まもなく疾風怒涛のフィナーレに突入しました。

さうして、浪漫主義者リスト特有の壮大なこけおどしのコーダの咆哮を圧して、楽堂の山顚にすっくと聳え立ったのは、さえざえとした鈴の音でした。
耳も割れよ、天井よ砕けよ、とばかりに大山鳴動。終わってみれば、鼠一匹、これはピアノ協奏曲ではなく、トライアングル協奏曲だったのです。

そのように私が正直に感想を漏らしますと、K君は「この曲の初演のとき、反ワーグナー派の評論家ハンスリックが君と同じ批評をしている。素人にしてはなかなかいい線いってるよ」と褒められたことを懐かしく思い出しました。
思えば彼のその一言で、私のクラシック趣味が始まったのですから、持つべきものは良き友です。

自慢話はこれくらいにして、すべての楽器のうちでもっとも遠くまで鮮明に聴こえるのが、このちっぽけな三角形の金属であることは、あまり知られていないようです。
オーケストラのフォルテッシモの演奏中でも、この打ち出の小槌をほんの小さく鳴らしただけで、ティンパニーやチューバやシンバルや、マーラーが好んで使う青銅の大太鼓などを軽々と凌駕して、会場の隅々にまで玲瓏とひびきわたりますから、作曲家は十二分に注意する必要があります。

そういう意味では9番目の交響曲新世界の第4楽章で、たった1回だけシンバルを、それもそおーっとお椀を伏せるような最弱音で鳴らしたドボルザークの繊細さが何度聞いても心に残るのです。

最初のリストの場合は極端な例外ですが、ショスタコービッチの第5番の交響曲においてもトライアングルは夜郎自大に乱打されて、その本来の正しい奏法がなされていません。
いやロマン派のすべての作曲家がこの悪弊に染まって、音色の清らかさと音楽のあたりきな伝達方法を失ってしまったことは、ハイドンモーツアルトの温和にして乾坤一擲、じつに目の覚めるように鮮やかな鳴らし方を一聴すればあきらかでしょう。


♪過ぎたるはなお及ばざるがごとしトライアングル 茫洋