蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

くたばれスタインウエイ


♪音楽千夜一夜第80回

ピアニストが使っているピアノは、私のような音楽の素人でも多少気にならないでもありません。

かつてモーツアルトはA.ヴァルター、後期のベートーヴェンはC.グラーフ、ショパンはプレイエル、リストはエラール、ドビュッシーシュナーベルはベヒシュタイン、コルトーはプレイエルを使っていましたが、現在はおよそ98%がスタインウエイ銘柄の洋琴ということで、これはパソコンのOSにおけるマイクロソフトの圧倒的な比率に匹敵します。

おもにベーゼンドルファーを弾くアンドラーシュ・シフヤマハを愛用したリヒテルや、しているマリア・ジョアン・ピリスなどは、超少数派の異端者ということになるのでしょう。

私は個人的には仕事上やむを得ずのOSを使っているのですが、ときどきそれがなんだか嫌になって、たまにはアップルを使ってみたくなる。それはポリーニや故ホロビッツをはじめ世界中のピアニストが使用しているスタインウエイのキンキラキンの音色が耳に鋭く刺さるのがどうにも苦痛になって、バックハウスが好んだ重厚な低音が響くベーゼンドルファーの調べに耳を傾けてみたくなる気持ちに似ているかもしれません。

私はホロビッツの演奏は嫌いではありませんが、スタインウエイの音色がどうにも好きになれません。昔から生理的に合わないのです。
スタインウエイがアメリカの最新鋭の超高速戦闘機のように華麗で刺激的な排気音を都会の高速道路にまき散らせているとすれば、ベーゼンドルファーはウイーンの奥の細道で昔の古拙な流行歌をひとり静かに呟いている。そしてヤマハは、浜松名産の淡白な養殖うなぎがただ一匹でイノブタ音頭を踊っている。
たぶんひどく間違っているとは思いますが、なんだかそんな違いがあるような気がするのです。

バックハウスが、演奏の前にオクターブを試し弾きをするベーゼンドルファーの低音の深沈とした響きの美しさの前では、軽佻浮薄なスタインウエイや無個性な優等生タイプのヤマハなぞとうてい敵ではありませぬ。

現在ハンブルグとニューヨークで生産されているスタインウエイは、機能的にはとても良くできた最高の完成度を誇る楽器で、だからベーゼンドルファーも、そのベーゼンドルファーを買収したヤマハもとうていかなわないのだそうですが、なんとかこの弱者同盟を強化して、世界に冠たるスタインウエイ陣営にひとあわ吹かせてほしいものです。



   ♪くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ 茫洋