蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ジョージ・ルーカス監督「アメリカン・グラフィテイ」を見て


闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.15

全編オールディーズ音楽満載の懐かし60年代回顧フィルムですが、いまみても「青春って変わらないなあ」と思わせてくれるつよい普遍性を発散しています。

主人公はハイスクールの男女というよりもキャデラックでしょう。ガソリンをいっぱい喰いそうな巨大な車が一晩中南カリフォルニアの街中を走っています。そしてこれと思う異性を見出すと身を乗り出してこっちに誘うのです。

ボーイ・ミーツ・バールあればガール・ミーツ・ボーイありで、色気づいたハイティーンが考えているのはあればかり。あれあれあれ、車の中であれをやらかしたい、やらかそう、やかかさなくては、という涙が出るほど単純明快な主題は、到底われら陰湿な4畳半襖の下張派の日本人選手の及ぶところではありません。

しかしすべての青少年が肉食系なのではなく、その反対にもっとも印象的なのはリチャード・ドレファス扮するいくぶん思索的な若者のプラトニック・ラブ。あすは大学入学だというのに、車からほんの一瞥しただけの白いドレスの女に懸想して一晩中車を転がしているのです。

偶然伝説のDJウルフマン・ジャックの助けで彼女と電話で話すことができたドレファス選手ですが、明日なら会えるという彼女を取るか、それとも進学を取るかで悩んだ若者は結局恋を捨てるのです。

もし飛行機に乗るのをやめて彼女に会っていたなら、というその切ないジョージ・ルーカスの思いが、このコスモスの花のようにはかないドライビング・ムービーを作りました。
そのルーカスが脚本と監督、製作をフランシス・コッポラが担当し、役者にはドレファスをはじめハリソン・フォードロン・ハワードなど当時の豪華無名キャストが熱演しています。

♪青春は醜く愚かで恥ずかしく悔しきままに遠ざかりゆく 茫洋