蝶人戯画録

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ポール・トルトリエの「EMI録音集」を聴いて


♪音楽千夜一夜第133回

1枚200円というスーパー・バジェット価格につられて買ってしまった20枚組のCDですが、なんという音楽のたのしみをプレゼントしてくれたことでしょう。窓際の梅から桜、桜から躑躅へと季節が過ぎるのも忘れて、書斎の英国製ハーベス・モニターから流れ出る流麗なチェロの音色に耳を傾けたことでした。

まず驚いたのはバッハの無伴奏の演奏です。カザルスもロストロポービチもヨーヨーマもフルニエもマイスキーもデユプレもトルトリエに比べると、いかにも重い楽器を重々しく弾いているという印象になってしまいます。
トルトリエは、まるでヴァイオリンのように軽やかに、鶯が歌うように楽しくチェロを鳴らすのです。

しかも彼は、抜群の技量をもちながらも、そのテクニクを表に出さず、いっさいの虚飾を排してひたすら作品の本質に迫り、作曲家の音楽に奉仕しようとするところが好ましい。彼の前ではすべてのチェリストが、鈍重で、神経質なゴーシュという趣になるのです。

ここまで書いてきてひとつ思い出したことがあります。私が生まれて初めて聴いたのは平井丈一朗という下手くそかつ音楽性皆無のチェリストの超超どんくさい演奏でした。かのカザルスの高弟という触れ込みの男のそのバッハを、私はカントの純粋理性批判を拝読する思いで傾聴したのですが、あまりにも拙劣で無味乾燥なその演奏に心身が拒否反応を起こし、それ以来長きにわたってこの楽器とこの作曲家、そしてクラシック音楽に対して決定的に悪印象を懐くようになりました。じつにじつにわが生涯最悪の不幸な音楽体験でしたが、もしあの時、平井丈一朗の代わりにポール・トルトリエを聴いていたら、と改めて思わずにはいられない雨の日曜日の午後でした。

♪若き日のわたしをクラシックから遠ざけた平井丈一朗のバッハ演奏 茫洋