蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ポネル演出で「ポッペアの戴冠」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第149夜


1979年に天才的演出家のジャン・ピエール・ポネルがアーノンクールと組んでチューリヒで行ったモンテヴェルディの素晴らしい蘇演ビデオです。

モンテヴェルディは1567年に生まれて1643年に死んだイタリア・バロック初期のオペラ作曲家ですが、後年のオペラ音楽の原型はすべて彼の3つの作品(1607年の最初の作品「オルフェオ」、1641年の「ウリッセの帰郷」、翌42年の「ポッペアの戴冠」)の内部に含まれているといっても過言ではないでしょう。

17世紀のモンテヴェルディに発した西洋オペラ史はいっきに18世紀のモーツアルトに飛んでその最高の達成を刻んだあと、20世紀のワーグナーの楽劇の宇宙で大爆発を遂げるのです。

さて彼の遺作となったこの「ポッペアの戴冠」では、主題からして衝撃的で、勧善徴悪ならぬ「勧悪徴善」を謳歌するという反社会的な内容になっていて、これは当時の世間の常識はもとよりキリスト教会の教えとも完全に逆行していました。

ローマの危ない皇帝ネロが、恩師の哲学者セネカの反対を無視し、自死すら命じて従順な后妃オッターヴィアを追放し、野心的で官能的な誘い女ポッペアに戴冠するという物語はいま接してみても保守的な精神を動揺させる違和があり、そこにこのオペラの現代性と普遍性があると思います。

第2幕のセネカの粛然たる自死の直後に、その同じ場所で繰り広げられる若者たちの生と恋の讃歌、そして第3幕のポッペアの戴冠式をことほぐ合唱における聖歌隊の哄笑などには、この不世出の演出家の真価が遺憾なく発揮されており、随所で展開される歌手と楽員たちの演劇的な戯れ、「愛の神」に翼を持った少年の起用などはその後のオペラの演出に大きな影響を与えました。

アーノンクールチューリヒ歌劇場モンテヴェルディ・アンサンブルの劇伴も、ポネルの指示に忠実に従っており、その後夜郎自大に成り上がってウイーンやロイヤルコンセルトヘボウの大オーケストラを振って内容空疎な音楽を奏でるようになった指揮者とは、とても同一人物とは思えない好ましい演奏振り。たかがビデオといえど、オペラの快楽ここに極まれり!

1970年代の半ばにチューリヒ歌劇場の総監督を務めたクラウス・ヘルムート・ドレーゼとポネルとアーノンクールの黄金トリオが奏でたモンテヴェルディ・チクルスのような革命的なオペラ公演があれば、世界の果てまで飛んで行って見物するのですが……。


♪ポネル死してオペラまた死したりその雲居の残響に耳を澄ます 茫洋