蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

開高健著「夏の闇・直筆原稿版」を読んで


照る日曇る日 第373回

あまりにも暑いので、開高健の代表作と称されているこの本を、そのタイトルに魅せられて読んでみました。

お話としては作者を思わせる肥厚な主人公が夏のパリで「私の玉門香ってる?」なぞとほざくむっちりとした肉体の持ち主(ただしあまり美人ではなさそう)と再会し、初秋のベルリンで別れるまでの男と女の精神と肉体のがっつりとした格闘をリアルに描いた作家40歳の折りの大作です。

そりゃあ人間誰しも適切な異性と遭遇すればただちに全身を投げ出しさらけ出すような恋愛をするわけですし、そこで己の存在意義がひび割れてくるような深刻な体験もするわけです。

来る日も来る日もただただセックスをやるまくる日々もあるわけですし、それがとても気持ち良かったり悪かったり、セックスしながらベトナム戦争についてもっともらしいことを考察したり、激しいセックスの合間には湖で大魚をオーパ!と釣りあげたり、そいつを上手に料理して、レモンをぶっかけてワインで乾杯して満腹したり、そろそろこうゆう生活にも女体にも飽きたなあ、いよいよサイゴンも陥落しそうだからちょっくら現場に駆け付けようかな、などと考えて実行する話なら1970年当時にはざらにあったわけで、それをこの作者が書いたからといって作者自身にとっては格別の大事件だったのでしょうが、われら読者にとっては当時も今も別にどうということはありません。

作者が「第2の処女作」と解説しているくらいですから、それなりの思い入れを込めたのでしょうが、今は亡き江藤淳が「喪われたやさしさに対する悔恨の歌であり、愛を奪った時代への告発の書でもある」などとカッコつけて絶賛するほど素晴らしい作品とは思えませんでした。

確かに作者がおのれの魂の井戸の奥底のゆらぎを見据えながら発語していることはわかりますが、かの高名な批評家がおっしゃるようなセンチメンタルで悲愴な歌を絶叫しているわけではありません。

ウンコちゃんはお風呂の中でユーモラスな実存鼻歌を歌っているのですよ。

しかしながらこうしてモンブランの高級万年筆を握りしめ、おそろしく下手くそな書字で自家製400詰め原稿用紙に408枚をエネルギッシュに書きまくったその生命力と創作意欲の燃焼力をつぶさに感得できるのは、じつに貴重な読書経験でした。

まるで漫画のようなプロットの平板さはともかく、作者の恐るべき文才と卓越した小説操縦力、そしてその自在なインプロビゼイションを存分に堪能できる1冊です。


♪楽天的な革命家と革命的な楽天家いずれも困ったものなり 茫洋