蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

鎌倉国宝館で「国宝鶴岡八幡宮古神宝展」を見物する

kawaiimuku2010-09-17



茫洋物見遊山記第37回&鎌倉ちょっと不思議な物語第227回

秋です。ようやく萩の花が咲きほころびはじめた国宝館を訪ねてみました。

鶴岡八幡宮の古いコレクションが並べてありましたが、ほとんどこれまでに見たものばかりで掘り出し物はありませんでした。

ただ面白かったのは例の強風で倒れた大銀杏にまつわる展示です。この巨大な植物は樹齢数百年といわれ、承久元年(1219年)の旧暦1月27日の朝、三代将軍の実朝が甥の公暁に暗殺された瞬間をただひとり(1本)目撃していたという噂もありますが、さて本当のところはどうだったのでしょう。

残念ながら当日の惨劇を記録した「吾妻鏡」には、この銀杏についての報告はなされていませんし、鎌倉・室町・南北朝時代をつうじていかなる文書や記録にもこの種の情報はまったく残されていないようです。

はじめてこの植物を歴史に登場させたのは、あの天下の副将軍徳川光圀が貞享2年(1685年)に編纂出版した「新編鎌倉志」という歴史書で、そこには「銀杏の木に隠れていた女装した公暁が実朝を切り殺した」と書かれており、この説が万治年間(1658年から60年)に出版された中川喜雲という人の「鎌倉物語」に転載されて江戸の人々にしっかり定着したのだそうですが、彼氏が女装していたとは私も初耳でした。

もし本当なら、隠されていた驚くべき真相が466年振りに明らかになったということになりますが、真偽のほどはさあどうでしょう?
ともかく大銀杏と将軍暗殺がワンセットになったのは事件発生からおよそ半世紀が経過した江戸時代からであり、ここから急速にくだんの銀杏の存在がフューチャーされてきたようです。

本会場にある江戸時代に製作された「相州鎌倉之図」という絵地図では、たしかに鶴岡八幡宮のランドマークがこの銀杏であることが明示されていますし、明治時代になって月岡芳年が描いた「美談武者八景-鶴岡暮雪」という武者絵ではくだんの大銀杏を挟んでおじさんと甥っ子が大立ち回りを演じています。

そういえば八幡様には数多くの名刀(国宝)が保存されていますから、かつて別当を務めた公暁が実朝の首を斬った刀が現存しているのかもしれませんね。
以上、鎌倉国宝館の説明文の引用でお茶を濁してみました。(10月11日まで開催中)


イチローが一日一本打つように生きること 茫洋