蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ミンコフスキー指揮で「ポントの王ミトリダーテ」を視聴する


♪音楽千夜一夜 第166夜


2006年8月、レジデンツホーフで行われたザルツブルグ音楽祭のモーツアルト生誕250周年記念のライヴ演奏です。

ローマと戦って戦死した、と聞いたポントの王ミトリダテスの2人の息子が戦場から飛んで帰って王妃に求愛し、王妃が長男とよろしくやっている最中に、ミトリダテスが「どっこい俺は死んじゃいないぜ」と帰国するところからこのオペラは始まります。

ラシーヌの原作からアイデアを得たトリノの田舎者サンティによる脚本はきわめてお粗末なものですが、天才の作曲の筆がそのイージーゴーイングさをどこか遠いところへうっちゃって、義務と愛との相克に引き裂かれた男女の苦悩を深々とえぐり出すにいたるさまはじつに聴きごたえがあります。

 しばらく前に視聴したのはジャン−ピエール・ポネル演出、アーノンクール指揮ウイーン・コンツエルトゥス・ムジクスによる演奏でしたが、ポネルはモーツアルトの超若書きのこのK84の「オペラの試み」といってよい作品においても正統的な環境整備と劇的な表現を巧みに組み合わせて現代人の鑑賞に堪えるリアリザシオンを繰り広げていました。

今回はギュンター・クレマーという人の演出でしたが、ポネルとはまったく違うアプローチ。冒頭のギリシア演劇とモダンアートを融合させたパフォーマンスに見られるようにコンテンポラリーな今風の切り口が特徴です。お洒落な美術や照明や衣装とあいまってそれなりにこのオペラの持つ普遍的な悲劇性を温故知新しようと努力していたようです。


ミトリダーテがリチャード・クロフト、アスパジアがネッタ・オル、シーファレがミア・パーション、ファルナーチェがベジュン・メータ、イズメーネがインゲラ・ボーリンという中堅歌手たちもそれなりに健闘していましたが、特筆すべきは、ミンコフスキーの生き生きした指揮振りとそれに積極的に応えるルーブル音楽隊のモーツアルト演奏。
それはヘンデルを思わせるシーファレの第22番のアリア「恩知らずの運命の厳しさが」の長丁場のしのぎかたに端的にあらわれていました。

総じて中の上、あるいは上の下の部類に入る出来栄えといえましょう。



モーツアルトは何故殺されたのかとひと晩じゅう考えていた 茫洋