蝶人戯画録

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横浜美術館で「ドガ展」を見る

茫洋物見遊山記第41回&勝手に建築観光第40回


ポール・ヴァレリーの「ドガ、ダンス、デッサン」で知って以来、エドガー・ドガのデッサンをこの目でみることはわが年来の夢でしたが、ようやくその夢が横浜で叶えれらました。

1988年に丹下健三の手によってデザインされたこの美術館は、さながら巨大な石材置き場のように空虚で鈍重な建築物で、どこかオリエントの権力者の遺構を思わせるポストモダン風モダニスム様式は、当時の建築家と時代のあてどなさを雄弁に物語っています。

さてドガです。ドガはプロとしてはデッサンが下手なのです。下手と言って悪ければ苦手なのです。そして下手で苦手なくせにデッサンが大好きなのです。そのことは彼が好んで描いたバレリーナや浴婦の習作を見ると分かります。私に言わせれば、こんな悪戯描きは彼の手で廃棄すればよかった。少なくとも公衆の面前で公開する価値はありません。

むげに否定せずに拾い上げると踊子よりも裸婦の素描でしょうか。豊満な熟女が奇妙な姿勢で身体を捻じ曲げて背中を拭くポーズを背後からとらえた3つの連作スケッチは、彼の女性に対する異常な、あえていえば変態的な感受性を示すとともに、裸婦の具象が魔性を帯びた抽象に変異してゆくさまを期せずして記録していて鬼気迫るものがありますが、そういう恐るべきデッサンは他にはひとつとしてありません。

他の油彩、パステルはどうかと眼を転じてもほとんど観賞に耐えるような作品はなく、やはりあの有名な「エトワール」にとどめをさすということになるでしょうか。
この作品は他の踊子関連の作品と違って、登場人物の輪郭は完全に無視され、セピアを基調とするこの世のものとも思われない幻想的で美しい色彩の雲が、私たちをつかの間の夢想の彼方へと連れ去ります。
これはドガが固執するフォルムの正確さの追及を放棄した瞬間に誕生した奇跡的な抒情詩のようなもので、彼はその後「エトワール」を超える作品をついにキャンバスに定着することはできませんでした。

ではドガの最高傑作はどこにあるのでしょう?

それは会場の隅にグリコのおまけのように展示された躍り子と馬の彫刻のなかにあるのです。被写体に対して隔靴掻痒の状態でついに肉薄できなかったこの作家は、視覚が薄れゆく最晩年に至って、実物よりもはるかに美しく、生命力に満ち満ちた驚異的な芸術世界を完成していたのです。

会場の最後に並んだ15点の彫刻を目の当たりにして、私は、私のドガにとうとう出会ったのでした。

追記
ドガのアトリエに遺された彼の冬の帽子とスカーフとメガネのおしゃれなこと。これこそ古き良きパリの粋というものでしょう。彼の愛した踊子の小さなバレエシューズを見つめているとなんだかドガという男のことがはじめて分かったような気がしました。


ドガダンスデッサン ドガの愛したバレエシューズよ 茫洋