蝶人戯画録

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マーティン・スコセッシ監督の「ノーディレクション・ホーム」をみて


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.111

1941年にミシガンの片田舎に生まれた音楽少年ロバート・アレン・ジマーマンが、いかにしてボブ・ディランという偉大なミュジシャンになりおおせたかを、マーティン・スコセッシがあくまでも音楽内容に則して悠揚せまらず跡付けしてくれた記念碑的な労作である。

冒頭からフィナーレまで何度も色々なアレンジで聴かせてくれる「ライク・ア・ローリングストーン」や「風に吹かれて」「はげしい雨が降る」などの名曲を、功成り名を遂げた現在の彼の解説で次々に聴かせてくれる趣向もうれしい。

 数多くのミュジシャンやディレクター、プロデューサーなどの証言もきわめて興味深いもので、とりわけ彼が敬愛したウディ・ガスリーやジョーン・バエズとの相互交渉と別れなど、この映画を観てはじめて得心がいった。

 とりわけ若き日のディランが街角の不動産屋のちらし広告のコピーを何通りにもアレンジしながら早口遊び言葉のように無限のバリエーションを繰り出す姿は、街頭の即興詩人そのものである。

 古今東西の文芸作品の影響を受け、意味深い歌詞をフォークギターやロックバンドの調べに乗せたボブ・ディランに私淑する山本耀司が、彼の歌唱スタイルを真似して東芝EMIから出した「さあ行こうか」というCDを聴いてみるとこれがほとんど聴くに堪えない代物で、彼我の芸術の落差に愕然とさせられる。友部正人や友川かずきなどは、かなりうまく行った例だろう。
 ともあれボブ・ディランのファンならずとも楽しめるマーティン・スコセッシの労作である。


ノーディレクション地方差別の無計画停電に私は到底同意できない 茫洋