蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

フロリアン・ドナースマルク監督の「善き人のためのソナタ」をみて


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.113

1984年当時の東ドイツの恐怖と不自由の警察社会を赤裸々に描くヒューマンドラマです。東独の国家保安省という国民を監視する国家機関に勤務する一人のスパイが主人公で、反体制的と目された劇作家とその恋人の暮らしを盗聴している間に、おのれの所業を恥じ、体制に逆らってまで彼らを庇護しようとするのですが、そのきっかけになったのが表題の音楽でした。

 劇作家が先輩の反体制演出家から形見のようにしてもらった「「善き人のためのソナタ」を自分で演奏しながら恋人にこう呟きます。

「レーニンはベートーヴェンの「熱情」を真剣に聴き過ぎると「革命」に打ち込めなくなると言ったが、この「善き人のためのソナタ」を本気で聴いていると「悪人」になれなくなる」

そしてその意味ありげな言葉を、その音楽とともに盗聴していたスパイは、どういうわけか当初の悪人根性を捨てて、「善き人」になっていくのです。

目前に破滅が迫っていた劇作家は、この「善き人」の善き魂のおかげで一命を救われ、ベルリンの壁が崩壊して自由が回復された後で、彼へのその感謝を込めた「善き人のためのソナタ」という書物を書くというなかなかに感動的な物語です。肝心のソナタとその演奏が、ベートーヴェンの「熱情」ほど感動的な音楽ではないという一点をのぞけば。


悪き人が善くなれば善き人善き人が悪くなれば悪き人 茫洋