蝶人戯画録

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東博にて「写楽展」を見る

茫洋物見遊山記第56回

総数160点を超える東洲斎写楽の作品を一堂に集めた、これぞ空前にして恐らくは絶後であろう展覧会を見物してきました。
作品の大きさに対して会場の空間が広すぎるという問題はありますが、黄金週間いな大震災に見舞われた本年度一番の眼福であることは間違いのない至福のひとときではありました。

そこで初めて気づいたのは、東洲斎写楽を生んだ江戸絵画界の豊饒さと連続性です。2代目坂東三津五郎の役者絵などが写楽の他に歌川豊国と勝川春英の作品と並べて展示されていましたが、それらの3点はほぼ同工異曲で技術的にも完成度からも優劣をつけがたい水準に達しており、ひとり写楽のみが群を抜いて孤立していたわけではないことを雄弁に物語っていました。おそらく他の2名の絵師が写楽を名乗ることは、いともたやすきわざであったことでしょう。

さはさりながら、寛永6年の初頭から開始された写楽10ヶ月の疾風怒濤の進撃に目をやると、これら同時代のライヴァルたちにはない存在感は圧倒的で、私は彼の大胆な構図や光彩陸離とした表情の奪取、被写体の人間性の内奥に肉薄する鋭い筆致、複雑で微妙な柄や色彩の選定に驚嘆せずにはいられませんでした。

その強烈な個性は、とりわけ彼が得意とした当代一流の歌舞伎役者の大首絵において面目躍如としており、その独創的な芸術の価値は、首絵創始者の喜多川歌麿をはるかに凌駕するものがありました。

サリエリのオペラはモーツアルトそれに非常に似ていますが、しかし全然モーツアルトではない。凡才は限りなく天才に追随できるけれどもついに天才ではない。これと似た事情が、音楽だけでなく絵画の世界でもあることが本展の鑑賞をつうじて理解することができたというのはざわざわここに吐露する迄もない凡庸な感想でしたな。


無より生まれ無に還るまでのお戯れ 茫洋