蝶人戯画録

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葉月狂言綺語

バガテルop140

8月5日の日経の文化欄で吉本隆明氏が文化部の記者の取材に答えて「原発をやめるという選択は考えられない」と発言していた。
「原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料してはけた違いにコストが安いがそのかわり使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし発達した科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは人類をやめろというのと同じです」
と彼は説く。確かに原子力は人類の科学技術の最新最大の成果のひとつであるが、その成果のひとつである原発や原爆をやめることは、「人類をやめる」こととはまったく連動せず、むしろ「人類をより良くより長く存続させる」ことにつながるはずである。
原発は俗に「トイレのないマンション」と言われているとおり、燃料の最終処理方法がまだ確立されておらず、そこまで算定しないで「けた違いにコストが安い」などと平気で発言できる人はよほどこの問題に無知なのか、原発推進側の宣伝に毒されているのだろう。
原発反対論者は別に「発達した科学を後戻りさせろ」などと非常識な提案をしているのではない。「発達した科学を他のシゼンエネルギー研究と開発に方向転換せよ」と主張しているのである。
また彼は言う。
「だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせないとか安全面で不注意があるというのは論外です。全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか飼い猫に好かれるといった小さな満足感で押し寄せる絶望感をやり過ごしている公の問題に押しつぶされずそれぞれが関わる身近なものを一番大切に生きることだろう」

飼い猫に好かれようが嫌われようが知ったことではないが、今まさに問われているのは、「どんなに現場スタッフの知恵を集め、どんなにお金をかけても安全で完璧な防御装置をつくることなど出来ないのではないか?」という原発に対する根本的な疑問と問いかけであるはずなのに、この評論家はあいもかわらず素朴な科学万能主義に無邪気な信仰を抱いているようだ。

あんたなら立派な看護師になれたわよと姉に太鼓判押されしわが妻 蝶人