蝶人戯画録

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西川誠著「明治天皇の大日本帝国」を読んで


照る日曇る日第451回 

講談社の天皇の歴史第7巻がいよいよ幕末を経て明治に突入しました。一身にして二生を経た父孝明天皇と同様、明治帝もまた朝廷の奥に巣食う繁文縟礼と神人一体祭政一致の魑魅魍魎の混沌に浮沈しながら、薩長の指導者、元老の補弼に導かれながら、みずからを近代化・西洋化していく。

幼くして宮中の保守的な侍補や儒家、女官の影響下で軟弱に育った頑迷な少年が、西郷、大久保、長じては伊藤博文が描いたグランドデザインに基づいてその怠惰で放恣な性格を矯正し、鉄漿白粉袴束帯の和装から軍服をまとった帝国の指導者へと変身していく姿は感動的ですらある。

 川村海軍相の落ち度に対して西瓜を投げつけて叱咤する大西郷の英姿を目に焼き付けた若き日の明治帝が西南戦争で落命したこの最後の武人を追慕して政務を一時拒絶する姿も涙ぐましい。
しかしのもとで政治的人間として成熟した明治帝は、明治憲法が規定する元首として、その掣肘の元で内閣と議会の三角関係の安定正常化に腐心し、これを生涯に亘って巧みに制御することに成功し、あわせて「明治の精神」を文字通り体現したといえるだろう。

彼が生涯につくった御製はなんと九万三〇三二首のおおきに達するそうだが、これは彼が覇王の主たる用務としての文雅の道に忠実であったのではなく、新たに課せられた政務への取り組みの慰謝と代償行為であったのではないだろうか。


しかし明治帝と明治憲法の父とも称すべき伊藤博文統帥権の独立と日露開戦、国家神道の跳梁を許し、朝鮮併合にあえて反対しなかったことで昭和天皇下の大日本帝国崩壊の素地を用意していたともいえよう。


    資生堂パーラーで四千円のランチを食べました 蝶人