蝶人戯画録

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内田樹&中沢新一著「日本の文脈」を読んで

kawaiimuku2012-04-13



照る日曇る日第509回

 新進気鋭、というよりは今や論壇の主流に躍り出て大活躍の「男のおばさん」によるアットホームな雰囲気の対談集である。

3.11の大震災が来るまでは「日本の王道」というタイトルで出版されるはずが、内田の提案でこともなげに急遽「文脈」に変更したというのであるが、ここら辺は「武士」への憧憬を隠そうともしない現役武道家の抜く手も見せぬ早業を感じさせる。

 私はこの文武両道、日猶兼用の思想家が唱える師レヴィナス譲りの「始原の遅れ」哲学とか、「すべての人間的営為は「贈与と反対給付」よって構成されている」などという学説には俄かに同意できないが、彼が中沢選手と共に推奨している「廃県置藩」は大賛成だ。

官僚統治の効率化をめざして急速に膨れ上がる中央集権的共同体を破壊的に再分化して司法・軍事・行政区画を再び江戸時代の藩の状態に復元したり、あるいは吉里吉里国のように三三五五自立独立化すれば、昨近の無責任政治やアホ馬鹿白痴市民の大増殖にも少しは歯止めが掛かるだろう。

沖縄にしてもヤマト&アメリカ両国と一日も早く手を切って非武装中立の新琉球国を旗揚げすれば、彼らの米軍基地問題は速やかに解決するに違いない。もし衆議一決すれば、日本やアメリカや中国やロシアや北朝鮮やインドやイスラエルやイランと張り合って核武装するも諸君の選択肢の裡にある。

 それはともかくこの座談の中でいちばん面白かったのは能の話で、バレエの主役が舞台で死んだら公演は中止になるが、能の舞台では最後までやる。シテが死んだら後見が死体を「切戸口」から出して代わりに舞うことになっているそうだ。 

能は死霊たちが出現する芸術であるとは承知していたが、「切戸口」は老子のいう「玄牝の門」(子宮口)であり、その対極線にある目付柱がファロス(男性器)であるとは知らなんだ。これを要するに、能舞台とはラカンがいう穴のあいた三間四方の無限宇宙であり、生(性)が、死霊と激しく交感するエロスの殿堂なのであった。

 
桜万朶関東平野駆け巡る 蝶人