蝶人戯画録

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イワン・プィリエフ監督の「カラマーゾフの兄弟」を見て

kawaiimuku2012-08-14


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.292&293&294


1969年に旧ソ連で製作された映画である。

第1部を見て驚いたのは、登場人物のイメージが原作に近いというか、傷つけていないというか、とても好ましいこと。グルーシエンカとゾシマ長老はちょっと違うがカラマーゾフの父親と3兄弟、そしてとスメルジャコフなどは実に見事な配役ではないだろうか。

そして彼らが当たり前のことながらドストエフスキーの同名の書物に出てくるセリフを映画的違和感なしに滔々と喋りまくるのが素晴らしい。とりわけ父親の口吻は原作者に聞かせたいくらいの迫力だ。

第2部ではゾジマが聖人なのに異臭を発して死に、長老を尊敬していたアリョーシャは衝撃を受けながらも宗教界を離脱して実社会に飛びこもうとする。そこで勃発したのが謎の父親殺し。アリョーシャは長兄ミーシャの無罪を確信しているものの四囲の状況が悪すぎる。

「神無き世ではすべてが許されてある」と公言する次兄イワンと彼に心酔する使用人であり父フョードルの私生児であるスメルジャコフの不穏な動きが描かれるなか、元恋人のポーランド人将校の元に走った美女グルーシェンカを奪還すようとするミーシャの熱情は凄まじい。しかしイワンがアリョーシャに語る「大審問官とイエスの対話」はこの映画では封印されている。

第2部を完成させた直後に急死した監督の第3部は、長兄と次兄役の役者が共同で監督して完成させたそうだが、ここでは父親殺害の罪問われたミーシャの前で2人の美女が対決する。

ミーシャはファム・ファタール、グルーシェンカと新大陸アメリカに脱出するが、そこでいかなる運命が待ち構えているんだろう。想像するだにわくわくしてくるし、下男であり父フョードルの私生児でもあるスメルジャコフを指嗾して父を死に至らしめた次兄イワンと、恋人カテリーナの2人にはどのような未来がもたらされるのか。これまた興味深いものがある。

多くの人々が予想するように、その後のアリョーシャは汚辱にまみれたロシア社会の最底辺を行脚するうちに階級意識にめざめ、過激な社会主義者を経由してツアーリを暴力で打倒する一人一殺のテロリストになるに違いない。ドストエフスキーが亡くなった部屋の隣には、アレクサンドル2世の襲撃犯が潜んでいたのは周知の事実だ。

 作家はアリョーシャに仮託して早すぎるレーニンの伝記を書こうとしていたのだろう。作家の脳髄の内部だけで成立していた「神なき世ではすべてが許されている」という仮説が、続編では“現実のもの”になるはずだった。


    樹脂の香は悩ましくないか樹脂会社に勤める甥っこよ 蝶人