佐藤賢一著「ジャコバン派の独裁」を読んで
照る日曇る日第565回
1793年10月16日、ひょんなことから国王ルイ16世をギロチンに送り込んだものの、フランス革命を遂行する革命家とサンキュロットたちの前途には不気味な暗雲が立ち込めていた。
ヴァンデ県のみならず全国の地方のあちこちで、革命に不満を懐く農民、貴族が武装して「ヴァンデ軍」を組織したのみならず、イギリスを中心に、オーストリア、プロイセン、スペイン、ナポリ、ローマ、ロシアまで加わった「対フランス大同盟」が結成され、国の内外で反革命勢力が力を増してきたのである。
にもかかわらず国民公会の内部では、穏健派のジロンド派が中間派の支援を受けて多数派を形成しており、ロベスピエールをはじめとするジャコバン派は切歯扼腕を続けていたのであるが、1793年5月31日、ついにパリは蜂起する。
過ぐる1789年7月14日はデムーラン、1792年8月10日はダントンが主導したが、それに続く3度目の蜂起は、ロベスピエールの指嗾に力づけられたパリ市第2助役エベールと過激派の暴発がきっかけであった。
本巻を仔細に見れば本邦における無数の「かくめい」運動と同様、ひとくちに大フランス革命などというても、山あり谷あり凪ぎあり嵐ありで、その時々の流れや勢いで過激にも穏健にも、あるいは反革命にも揺れ戻る無数の契機があったと知れよう。
それではここで問題です 我が家で次に死ぬのは誰でしょう? 蝶人
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