蝶人戯画録

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会田誠展「天才でごめんなさい」を見て

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茫洋物見遊山記111

 

たとえば9.11の青空と飛行機を見て思わず「美しい」と呟いたり、美貌の皇室の貴婦人を瞥見して「犯したい」と思ったりするくらいの自由は、この息が詰まるような平成の御代に棲息する普通の市民に許されているはずだが、その市民の中に居る一握りの美術家がそうした思念を図像に描いた途端、気狂いとか変態とか非国民とかアナーキストなぞという無意味な誹謗と中傷を浴びせかけられるというのはおかしな話である。

 

気狂いが刃物を持つのは問題だが、小説家がペンを持って、画家が画筆を握って原稿用紙やキャンバスにどのような文章や図像を描こうが、それがどうした。その意味内容に文句があるなら夫子自身がそのように振舞えばよろしい、というのが表現の自由の良さであり、それを保証する社会の良さというものである。

 

だから会田誠というアーチストがニューヨークを爆撃する零戦を描いたり、鎖で繋がれて犬のように飼育されている手足の無い美少女を描いたりしているのは、ただ単にそれをそのように描いてみたかったということに過ぎない。そして今まで誰も提出しなかった「それ」を、その主題にもっともふさわしい表現形式と卓越した技術でえいやっと突き出したところが、この天才の天才たるゆえんなのである。

 

残るのはそれを見た人たち自身の問題で、ざまあみろ鬼畜米英と喝采したり、あれま残虐で可哀想すぎるからやめてけれと絶叫したりするのは、その人たちの勝手ではあるけれど、作家の仕事としては己の想念に忠実に行くところまで行ったという地点で話は全部終わっているのだ。

 

それにしてもこの人のヴィジョンの多種多彩で自由奔放で、痛快無比で一瀉千里で、孤帆出でて再び帰らずであり過ぎることよ! カントの「純粋理性批判」の全ページに悪戯書きする画家、オオサンショウウオと戯れる美少女、電動俳句看板、等伯の松林図を思わせる「電柱に烏」図、英仏独3人の画家に扮したもっともらしいパフォーマンス、「美少女」という文字の前で自涜する画家、自殺未遂マシンのための説明ビデオ、中国人を虐殺した老人たちの狂気に満ちたゲートボール、巨大なゴキブリに犯される美少女……命懸けの自己投企とエラン・ヴィタールの果てに漂う達成の虚しさも、哀切捨て難いものがある。

 

おそらくは作家自身にもとどめようのない衝動に突き動かされての創作・創造の所産であるに違いないが、万々歳!このようにエキサイティングな出し物が次から次に登場するとは夢にも思わなかった。

 

これは恐らく100年に1度あるかないかの、全国民必見の展覧会と評しても過言ではないだろう。なお本展は東京六本木ヒルズの森美術館にて3月31日まで開催中。

 

 

諸君、天才の登場に脱帽し給え。これこそは前代未聞、空前絶後の見せ物なり 蝶人