蝶人戯画録

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セルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和全4部」を見て

 

 

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トルストイの原作でもっとも感動的なのは、アウステルリッツの会戦で死を垣間見た主人公が戦場に横たわって見上げる蒼穹の描写、そして村夫子然とした典型的なロシア老人、クトーゾフ将軍の質朴にして頑強な姿であるが、この映画ではそのいずれの点においても正しく移し替えることに失敗している。もっとも1956年のメイドインUSA版よりはましな内容だが。

 

第2部は1811年の絢爛豪華な大舞踏会のシーンがみもの。ピエールの親切でアンドレイと踊ったナターシャは彼にひとめぼれ。1年後になにごとも起こらなければ結婚の約束が取り交わされるが、待たされて待ちきれなくなった処女は悶々とするうちに妻を持つ遊び人アナトーリにもてあそばれて自分を見失うが、このような狂気ははげしい恋にはつきものなのさ。

 

 第3部は1812年の阿鼻叫喚のボロジノの大会戦を、物量作戦でこれでもかこれでもかと描く。3Dなど一切使わない人力、物力、精神力が三味一体となった物凄い迫力だが、やはり老将クトーゾフのイメージが原作と違う。このヒーローはもっと歳をとって痩せており、いわば仙人のような風貌にしてくれないと困るのである。

 

 最終篇の第4部は、ナポレオンのモスクワ侵攻を例によって鳴り物入りでドラステイックに描く。虎の子の軍隊を死守するか、はたまた帝国の黄金都市をむすみす敵の手に委ねるか、老将クトーゾフの悩みは深い。しかしわれらが主人公ピエールはひとり見捨てられた街に残ってフランス軍の絶頂とその崩壊をその目で見届ける。

 

 映画は冒頭と同様に「悪人が群れをなして押し寄せるなら、善人もまた徒党を組んでこれと闘え」というトルストイの言葉を引用して終わるが、この偉大なる作家が描こうとしたのは政治に利用されやすいそんなケチなセリフではなく、戦争の愚かさと平和の貴重さであった。

 

 あらゆる戦争に反対し、あの日露戦争にも異議申し立てを敢行した文豪の小説の真意を、札付きのスターリニスト国家がおのれに都合よく書き換えることは断じて許されない。

 

 

怪物は戦を正義に仕立て上げ羊を地獄に突き落とすなり 蝶人