蝶人戯画録

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岸田秀著「唯幻論大全」を読んで

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照る日曇る日第591

 

むかし昔の「ものぐさ精神分析」を読んで以来の再会だったが、このひとの論法はまったく変わっていなかったので、そこがかえって新鮮であった。

 

フロイトの理論を踏まえて、「人間は性本能をはじめすべての本能が壊れているために現実を失い、茫漠とした幻想の世界に迷い込んだ哀れな動物である」という前提を是認すると、そこから著者が大展開する血わき肉おどるかの性的唯幻論、史的唯幻論世界に飛び込んで行くわけであるが、臆病かつ不敏な私はなかなかそこまでは明快に割り切れないので、いつまで経ってもこうやって現実界(外的自己)と幻想界(内的自己)のはざまをうろちょろしている仕儀となる。

 

しかし今回本書を読んで胸に響いたのは、母親が息子の心的自由を結果的に長く拘束抑圧してしまったという彼の幼時体験の悲惨さにあり、彼固有の強迫神経症がなければもうすぐ八〇歳になるというこの心理学者のある意味ではドンキホーテ的大哲学の誕生は絶対にありえなかっただろうという一事で、しかしその特殊性ゆえに多くの人々が彼の唯幻論ならぬ詩的&私的唯幻論に容易に心服出来ないのではないだろうか。

 

けれども私(たち)の本能が壊れていなくとも著者が説くように私(たち雄)は正常な性交をするためにはじつに複雑な幻想の手続きを踏まないとその実行に立ち入れないし、わが国が必ずしも米国の植民地ではなくても、私(たち)は過ぐる大戦の歴史と真実(どうしてあの強敵に無謀な戦いを挑んだのか)に正面から向き合わない限り、ほんとうの私(たち)を取り戻せないことだけは確かだろう。

 

ほんたうの自分なんかどこにもありゃせんありのままの今の自分がここにあるだけ 蝶人