蝶人戯画録

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梅原猛他著「翁と観阿弥」を読んで

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照る日曇る日第592

 

全4巻からなる能にかんする最大最高の入門書の第1巻は、「能の誕生」という副題で観阿弥の全作品の解釈と現代語訳を主軸に、梅原猛、松岡心平、天野文雄、中沢新一などの論考や名人ゲストを迎えての対談を添え物にしているがじつに素晴らしい価値を持つ書物だ。

 

「翁」をはじめ「葵上」、「通小町」「自然居士」「卒塔婆小町」「百万」「松風」などの観阿弥作品の梗概と注釈を読んでいるだけで時の経つのを忘れてしまうが、後半の梅原・中沢・松岡3氏による「「翁とは何か」と題する鼎談は必読の対談記録である。

 

「頼朝の巻狩り」「後醍醐天皇密教」「足利義満の能」がひとつながりの世界にあるという中沢の指摘から始まって、室町時代というのは人々が幻想の中で生きていた時代であったが(古今集の仮名序は草木国土悉皆成仏の思想を述べており宇宙=歌=夢の世界観)、観阿弥世阿弥が生きたそんな夢幻の時代は、儒学を国学にした江戸時代で終わった、という梅原の発言、そのようなアナロジー思考ですべてを注釈していくような夢の時代をいち早く切断したのは一条兼良である、という松原の指摘、さらには元雅はノヴァリーズのような詩人で禅竹の能は植物が性的な欲望を持っているような世界観がある、と喝破するに至る梅原……。

 

三者が丁々発止と切り結ぶ対論の血沸き肉肉躍る痛快さをなにに喩えたらいいのだろう。ともかくこれくらい知的興奮を呼び覚ます対論は滅多にないだろう。歌舞伎の専門家と思っていた渡辺保による「能=2つの視点」という論文の鮮やかな切れ味にも深く魅せられる。

 

俳優が開演時間を忘れて休演すこれぞアホ馬鹿日本の象徴なるか 蝶人