蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

梅原猛他著「世阿弥 神と修羅と恋」を読んで

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照る日曇る日第593回&遥かな昔、遠い所で第89

 

前巻の「観阿弥」に続く「能を読む」シリーズは子の世阿弥の作品の解釈・解題と興味深い論考、対談がぎっしり詰まった660頁です。

 

 ここに収められた「敦盛」「井筒」「浮舟」「姥捨」「砧」「恋重荷」「西行櫻」「実盛」「関寺小町」「当麻」「高砂」「忠度」「野森」「斑女」「放生用」「屋島」「山姥」「養老」「頼政」など世阿弥の代表作を目にするだけで、私の脳裏には彼の作と伝えられる「羽衣」の有名なくだり「東遊の数々に。東遊乃数々に。その名も月乃。色人ハ。三五夜中の。空に又。満願真如乃影となり。云々」を朗々と吟じる亡き祖父小太郎の声音と舞が浮かんでまいります。

 

 祖父が漱石と同じ宝生流の初心者なら、お向かいの芦田布団屋の得意は義太夫で、でっぷり肥った狸おやじが三味線ではなくなぜか琵琶を激しくかきならしながらシングアーソングする「妹背山婦女庭訓」と下駄屋の祖父が総桐造りの二階狭しと鼓を乱打しながら仕舞う「羽衣」は霧深き丹波の山奥で激烈なジャムセッションを繰り広げたものでした。

 

 去年亡くなった義母の父親は神奈川県庁に勤務しながら観世流の極意を体得した謡と仕舞いの名人で、その影響を受けた義母は観世流の原理主義者として生涯をまっとうしたことでした。

 

 能ではおおかたワキの「諸国一見の僧」が日本全国の名所旧跡を訪れ、故地ゆかりの伝承に接するところからそのドラマが始まり、やがてシテとの問答を経て二度目のシテの登場となり、その多くが「喜春楽」「春鶯」「傾盃楽」「秋風楽」「北庭楽」「万歳楽」「青海波」などのうるわしい四季の舞を舞って大団円を迎える演目が多いのですが、私たちの文化や教養の基底にはこうした南北朝以来の歌舞音曲の伝統が先祖代々骨肉のものと化していることを忘れてはならないと思うのです。

 

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