蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

東京新宿の東郷青児美術館で「ルドン展」を観て

 

茫洋物見遊山記第121

 

私は東郷青

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児が好きではないし、損保ビジネスにもてんで興味がないし、ここに麗々しく飾られているゴッホの「ひまわり」は何回見ても真っ赤な偽物としか思えないので殆んど来ることもないのだが、オディロン・ルドンは嫌いではないので、五月のある晴れた日に足を運んでみた。

 

誰でも毎晩夢を見ているはずだが、朝になるとその大半が忘れ去られてしまう。

しかし「起きて半生、寝て半生」。フランスの詩人ジェラール・ド・ネルヴァルが「夢は第二の人生である」と喝破したように、我々の人生の半分は夜と共にあるのだから、夢の世界で妖しく蠢いているこの茫洋としたおのれを追跡し、追体験し分析しない限り、自分という存在の全貌はついに明らかにならないだろう。

 

そこで夢の方法的制覇を志したフロイトやヴァレリーやネルヴァルとともにルドンは、この広大で未開の夜と夢の謎の世界の探求に乗り出したという訳だ。

 

ルドンは黒の詩人であり、黒に無限の夢と幻影を見た人である。会場狭しと並べられたリトグラフの黒は、単なる黒い色ではなく、その黒の奥底に万物の始原である「玄」の世界の彩りを湛えた無限の色彩を内包した黒なのだ。

 

だからこそ彼がいったん黒の画筆を投げ捨てて色彩に向かう時、その青や緑や赤や紫は事物の本性に裏打ちされた輝きを放つ。しかし眼を閉じたオフィーリアの瞼の裏に浮かび上がった万華鏡のような華麗な夢幻の世界は、ポーの「大鴉」やボードレールの「悪の華」の漆黒の世界の対極にあるかに見えて、じつはまったくの同次元にある等価物なのである。会場の最後から二つ目の「読書する女」の姿が、最後に展示された「聖母」へとなんの違和感もなくなめらかに転位されているように。

 

ルドンが生涯に亘って描いたのは、朝と夜、生と死、人間と宇宙、万物をひとつに貫く「玄と混沌の世界」の不可思議であった。

 

◎なお本展は6月23日まで同館にておどろおどろと開催中。

 

 

あの人は黒い花びらひとたびは散れどまた巡り来る夢とルドン歌いき 蝶人