蝶人戯画録

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佐藤賢一著「小説フランス革命第10巻 粛清の嵐」を読んで

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照る日曇る日第594

 

 1793年7月13日、ジャン=ポール・マラーはジロンド支持者のシャルロット・コルデーに暗殺されるが、この予期せぬ凶行を契機にして無風状態にあった国民公会ジャコバン党、というよりはロベスピエールを長とする公安委員会が、血が血を呼ぶ粛清の嵐を巻き起こす。

 

超過激派の若き革命家サン・ジュストに激しく突き上げられた日和見主義者のロベスピエールは、心乱れながらも恐怖政治を断行、元フランス王妃マリー・アントワネット、ジロンド党の議員たちやその強力な後ろ盾であったロラン夫人などを次々にギロチンの血祭りに上げてゆく。

 

「おお自由よ、そなたの名のもとにいかに多くの罪が犯されたことか」という彼女の遺言はあまりにも有名だが、革命の大義という美名の元に革命を肯定する多くの自由の徒も次々に殺されてゆき、それが「自由・平等・博愛」を標榜した大革命の自己崩壊という結果をもたらすのである。

 

しかし熱烈なカトリック教国とみえたフランスが、急速に基督教と教会から離脱して無宗教へとひた走り、「理性」の祭壇の前にぬかずくようになった時、いいしれぬ恐怖に慄いたのが他ならぬこの独裁者であったとは、まことに興味深い事実である。

 

キリスト教の代わりに天皇教という目に見えぬ宗教が依然として猛威をふるい、天皇元首制なる虚妄の擬制を信奉する古式豊かな人々が羽ぶりをきかせている我らが変態帝国でこそ、このような「理性教」の存在理由があるというべきだろう。

 

 

天皇を元首に祭り上げるその前によくご本人にお伺いしてご覧よ 蝶人