蝶人戯画録

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ジャン=ポール・ラブノー監督の「シラノ・ド・ベルジュラック」を見て

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.475

 

読んだことはないのだが、ロスタンの有名な原作を映画化。ジェラール・ドパルデューが出てくると、どんな原作でもある種の色がついてしまうのが、長所でもあり短所でもある。ものによってはウンザリすることもあるが、ここではまずはうまくマッチしたほうだろう。本作ではそのヒロインも若きヒーローもあまり魅力的な俳優ではないために、よけいシラノ・ドパルデューの存在感が際立っている。

 

長くて大きくて醜い鼻の持ち主といえば芥川の短編「鼻」の主人公、禅智内供であるが、シラノは禅智内供と違ってそれを矯正しようなどと愚かなことは考えず、ひたすら恋する女の黒子になって、顔だけは美貌で頭はパアの若者のために献身するのだが、そのありよう自体が人の常であり、哀れと共感を呼ぶのである。

 

ここで「いとおかし」なのは若きヒロインの心根である。彼女は外貌の美醜よりも内面の文学的特性、すなわち即興的な詩作力や文飾の華美の魅力で異性に惚れるというのだが、これは少しく平安時代の本邦の貴族の教養ある女性を偲ばせて興味深かった。

 

もっともその手紙の口説き文句を読んだだけで失心してしまうのはいくら名文にしてもインポシブルではないだろうか。

 

 

短歌とは全三幕の小さなオペラにて「序破急」をもてわが魂を歌う 蝶人