蝶人戯画録

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エリオット・ポール著吉田暁子訳「最後に見たパリ」を読んで

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照る日曇る日第599

 

セーヌのシテ島、サン・ミシェル広場にほど近いパリ・ユシェット通り5番地オテル・ヂュ・カヴォー。本書は、その一室で1923年からナチ占領直前の18年間を過ごしたアメリカのシカゴ・トリビューン特派員による珠玉のような人情風流譚である。

 

そこに描かれているのは夜毎カフェに集って議論に花を咲かせる金持ちマダムや貧乏プロレタリアート、花屋や大工や給仕や女中、僧侶、官吏、やくざ、娼婦の老若男女、町内の住人たちのいきいきとした生態。大戦間のひとときの平和を享受しながら、人を愛し、かつ憎み、普段着の生活を愛し、パリを愛する庶民たちのまことに個性的で愛すべきいきざまである。

 

しかし戦後のしばしの平和はたちまち終わりを告げ、第2次世界大戦の不吉な足音がひたひたと迫ってくる。スペインの共和国政府に挑むフランコ反乱軍を支援するムッソリーニとヒトラー。そして内政不干渉という名目で彼らファシストを間接的に支援する英国、その英国による圧力によってスペイン支援の絶好のチャンスを見逃して国内の内紛に血道を上げるフランス。

 

戦争の予感が巷にみなぎり、それまで平和的に呉越同舟していた町内の人々が右翼と左翼に別れて激しくいがみあうようになるくだりは、なにやら本邦の10年後を先取りしているようで胸苦しいが、それから間もなく血なまぐさい戦争が、ユシェット通りを覆いつくすのである。

 

ジャーナリストである著者の鋭い眼は、当時のパリの暮らしのみならず文藝や美術、音楽、料理やファッションについて簡潔にして要を得た見事な報告を聞かせてくれるが、独伊枢軸ファシズム体制の前にずるずると後退を余儀なくされるフランスのあまりにも脆弱で無防備な政治的・経済的・軍事的無為無策の数々についても見逃すことなく、ヒトラー巴里進駐の屈辱の日までの歴史を冷徹に描き出している。

 

しかしもっとも読者の心を揺るがすのは、著者と才色兼備の少女イアサントとの魂の交流と悲劇的な別れだろう。この本からは、最晩年のドゥ・パハマンが、イアサントだけのためにサル・ガヴォーで弾いてやったショパンのへ短調ノクターンの調べが聴こえてくるようだ。

 

恐らくこれほどパリの下町とそこに生きる人々の哀歓を捉えきった作品はこれまでもなかったし、これからもないだろう。「ヨーロッパの一つの文化的頂点であった時代のパリが、その匂いや木の葉のきらめきとともにここに収められている」と吉田健一が讃えたのもなるかな。

 

 

 

神社裏のわれのみぞ知るイワタバコ根こそぎ取られて跡かたもなし 蝶人