蝶人戯画録

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「トスカニーニ・コンプリートRCAコレクション」を聴いて

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音楽千夜一夜第310回

 

トスカニーニの前にトスカニーニなく、トスカニーニの横にフルトヴェングラートスカニーニの後にはわずかにカラヤンクライバーあり。

 

この偉大なマエストロが指揮した84枚のCDを聴けば、その凄さをつぶさに実感することができるだろう、1枚たったの116円で。

当節は小澤をはじめラトル、メスト、ハーデイング、ドゥダメル等々居ても居なくても誰も困らない2流、3流の指揮者でも「マエストロ」と軽々しく呼ぶようだが、それは不勉強なロバの耳たちがもっともっと素晴らしい偉大な先人の演奏にその残滓なりとも触れたことがないからである。

 

ここには、本当のマエストロとはこの人とフルトヴェングラーにしか与えてはいけない称号であった、と心の底から痛感させる世紀の名演奏、名録音の数々がある。

 

ベートーヴェンでもヴェルディでも、曲は前へ前へと不不屈のエネルギーで前進するのだが、かといって緩徐楽章や恋のアリアにさしかかった折の適正なテンポの維持に心配りを怠っているわけではなく、この伴奏ならばこの歌手がもっとも真価を発揮できるであろう、と熟慮したうえでの管弦楽のうるわしい展開になっていることが、例えば私が愛聴するヴェルディの最大最高の傑作「ファルスタッフ」に耳を傾けているとよく分かる。

 

ベトちゃんでもブラちゃんでも20世紀の指揮術の規範は今では誰も訪れることになくなったこの聖檀に安置されているのであり、その真価が分からない人間は、あまちゃんを見てじぇじぇじぇと驚き、豚や鱶にでも喰われればいいのだ。

 

私はトスカニーニの真価はやはりオペラのカンタービレのめくるめくような疾走感と自他一体の燃焼天国感にあると思うが、それはこの全集の中に1枚だけ添えられているDⅤDの中でひときわ鮮やかに体感できるだろう。

 

1943年12月にNYのNBCスタジオで収録されたヴェルディの「諸国民の賛歌」のライヴ演奏を視聴していると、彼の命を賭けた反ファシズムの戦いと、彼が理想とする音楽への激しい希求とが混然一体となってまっすぐ押し寄せてきて、それが見るものの胸をいくたびでも熱くするのである。

 

「こんにちは」坂道行き交う人々が必ず挨拶するという尾道へ行きたし 蝶人