蝶人戯画録

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梅原猛・観世清和監修「元雅と禅竹」を読んで

照る日曇る日 第606回

 

金春禅竹の疾走する悲しみ

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「翁と観阿弥」「世阿弥」に続く「能を読む」シリーズの第3巻は、世阿弥の長男観世元雅と娘婿金春禅竹の登場である。本巻では元雅の代表作である「藤戸」「天鼓」「弱法師」「隅田川」、そして禅竹の「定家」「芭蕉」「杜若」「三輪」「龍田」などを中心に彼らの作品と考えられている38曲をとりあげ、現代語訳を付した懇切丁寧な解説を施している。まさに「能を読む」醍醐味ここに尽きるといっても過言ではないだろう。

 

世阿弥から「比類なき達人」とたたえられた元雅の作品に通底するのは、その短い生涯を予知していたかのような名状しがたい悲痛の念である。「弱法師」における盲目の美少年俊徳丸の夕日の日想観の光景はかの黒澤明「乱」でも引用された名場面だが、さしずめ小林秀雄なら「モーツアルトト短調交響曲を耳にしているような疾走する悲しみ」とでも評するに違いない。

 

梅原氏は金春禅竹の作品に流れる男女合体・両性具有の思想について論じ、「定家」における藤原定家式子内親王の爛れた邪淫、「芭蕉」における芭蕉の精と山僧の性交、「杜若」における在原業平と彼が関係した8人の女性たちの象徴である杜若の精との男女和合の歌舞の道に触れて、「これぞ天台本覚思想の真髄である草木国土悉皆成仏の現れである」と喝破するのだが、いつもなら素直にウンウンとうなずくはずの僕ちゃんが、思わず小首をちょいとかしげたのはいったいどういう風の吹きまわしだったのだろう。

 

足利義満という権力者によって能の世界の絶頂に立ったかに思われた世阿弥と元雅だったが、その子義教の代になると急激に遠ざけられ、元雅は暗殺、世阿弥佐渡に配流され、代わって世阿弥の甥音阿弥が重用されるようになる。

 

私はかねていくら短気で横紙破りの独裁者義教でも、そこまでやるには余程の理由があるはずだと思っていたのだが、松岡心平氏の「元雅の地平」を読んでその裏事情についてはじめて知ることができた。

 

世阿弥の長男元雅と次男元能(「申楽談義」の著者)は、かねてより南朝の小倉宮を支持する南大和の豪族越智氏の反権力闘争に加担しており、そのとがめを無実の世阿弥までが蒙ったのである。血気にはやった若者の政治参加が、天才能楽師親子の死命を制した。今も昔も政治の火遊びはあたら有為の才能を殺してしまうのである。

 

 

 

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