蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

『江戸の秋』

「これでも詩かよ」第30番&茫洋物見遊山記第136回&ある晴れた日に第162回

 

 

チョンチョン、チョンチョン、チョーンと柝の音が入って、三味線がチチンと爪弾かれ、太鼓がドドドドドロンと野太い不気味な音で転がったら、もうそこは江戸の秋の深い闇だ。

 

西暦2003年10月3日は、10月歌舞伎公演の初日である。

午前零時、私は半蔵門の国立劇場の3階B席12列57番に座っていた。

 

ここは大向うの常連たちの指定席だが、隣の青年が素人のくせに一拍遅れて「高麗屋、高麗屋!」と声を掛けるのが、ちとうるさい。 


「一谷嫩軍記」の序幕「陣門」の幕が上がり、続く「組討」では熊谷次郎直実が、海の中を平家の船まで騎馬で逃げようとする平敦盛を、大声で「返せ戻せ!」と呼びとめる。

 

舞台中央には寄せては返す須磨の海。沖合遥かにはゆるゆる移動する三艘の平家の船。

泡立つ海に馬ごとざんぶと乗り入れ、平家の若武者を追う源氏の闘将直実の勇姿が、見事な遠近法の世界に躍動する。

 

やがて浜辺に戻った敦盛の首を取ろうとすれば、それはなんと直実の息子、小次郎。松本幸四郎が実の子染五郎の首を泣く泣く取るという趣向に、観客は紅い涙を絞っている。

 

 

幸四郎の「一六年は一昔。ああ夢だ、夢だ」の大嘆息で、二幕「生田森熊谷陣屋」の幕が降りると、観客はヤンヤ、ヤンヤの大拍手。

 

幸四郎は相変わらず喉が狭苦しく、中音部の科白がよく聞こえないのが難だが、直実役とはニンが合い、いつもながらの優等生の折り目正しい生真面目さで、最後まで背筋を伸ばして消えてゆく。

 

ところが「一谷」が終わったあとの「春興鏡獅子」が、じつは本日いちばんの御馳走で。

 

前半の女小姓、後半の獅子と染五郎は両役で渾身の踊りを披露するが、まだまだ芸の途上にあるということで、染五郎よりも彼にからむ金太郎、團子の二人の子役の可愛らしさに、満場は満足、満足。

 

初日ゆえに馬の引っ込みが遅れて立ち往生するなどのトラブルもあったけれど、そんなこたあどうでもよろしい。踊りの背後で奏される唄、三味線、笛、小鼓、太鼓の名人芸とアンサンブルの素晴らしさよ!

 

それはウイーンとベルリンとミラノのオーケストラを全部集めたよりも激しく、美しく、痛切にまた懐かしく、私の総身に響き渡るのだった。

 

チョンチョン、チョンチョン、チョーンと柝の音が入って、三味線がチチンと爪弾かれ、太鼓がドドドドドロンと野太い不気味な音で転がったら、もうそこは江戸の秋の深い闇だ。

 

 

◎本公演は東京国立劇場にて10月27日(日)まで公演中。 



 

五輪ではバラバラ状態のわが国も台風十八号に対しては一体となれる 蝶人

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