蝶人戯画録

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角田光代著「私の中の彼女」を読んで

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照る日曇る日第645回

 

角田光代が素晴らしいのはその文章の音楽性で、それは彼女の文章を音読すればただちに分かるだろう(その反対の本邦最悪の文章家は塩野七生。全文語尾がダダ止めの無機的で生硬な文体は、この人物の知性と感性の有りようを図らずも暴露している)。

 

前作「ツリーハウス」では小説を読む醍醐味を堪能させてもらったが、今度の本を読むと小説のツクリや展開がどうのこうのというより、なんだか彼女の内面がそうとう煮詰まってきているようで気になって、前作ほど物語世界にどっぷりはまることができませんでした。

 

考えてみれば作家が食べていくことは他の職業、例えばリーマンと比べても困難極まりない苦労が伴うに違いない。いくら1本くらい傑作を書いてなんとか賞をもらっても、毎年毎年次から次に新しい作物を、全身全霊をこめ、脳味噌をひねって生みださなければならない。

 

いくら愚作凡作の山を築いても、注文があってそれに応えられるうちはいいけれど、そんな代物でも書けなくなればそれでおしまい。それでも本を買ってもらえるうちはいいが、タレントや政治家と同じでちょっと飽きられたらハイ、それまでよ、である。

 

だからどの作家も、例えば村上龍のように下らないテレビ司会者になったり、教師になったりして安全パイをかせぎ、その傍らで新作を目指そうとかするのだろう。

 

別に著者がそういう事態にいま際会しているはどうか知らないが、本書を読みながら私はいつのまにか人気作家の精神の危機やら物質的内情について思いを馳せていました。

 

せっかく才能に恵まれたいい作家なのだから、ここはじっくり腰を据えて勝負に出て欲しいと願うや切。

 

 

なにゆえに天子は靖国に参ぜぬかその心根を推し量れ臣下 蝶人