赤坂真理著「東京プリズン」を読んで
照る日曇る日第560回
15歳でなぜかアメリカの中学校に入れられた少女の苦悩、果てしなき自問自答と襲いかかる過去の亡霊と幻影の数々、16歳で卒業試験に課せられた模擬ディベートの異常な体験、天皇の戦争責任と日本の戦後史について総括、などなど著者その人の自分史と実体験を生々しく想起させる主人公の切迫した息遣いがダイレクトに伝わって来る1冊である。
天皇の戦争責任のありやなしや、をテーマとするかつての敵国でのディベートに余儀なく臨んだ主人公が、「東京裁判」のやりなおしを命じられた生贄のような立場に立たされて四苦八苦する場面がこの作品のハイライトであるが、解答不能の難問にそれでも答え続けていく中で、私たち日本人がおのれの本性と来歴を問わずに現在まで呆然と生きてきた異常さが明るみに出されるのである。
小説という形式の中にあまりにも言わんとする多くの要素を持ち込んだために、時として進路が混沌とし、主人公も著者もその場に佇んではまた力を振り絞って歩き始めるのだが、多少の未熟さを併せ持ちながらも必死に生きようとする「彼ら」に思わず「大丈夫だからね」と声を掛けたくもなるのである。
おらっちは人日なれど汁粉喰ふ 蝶人