蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

村山由佳著「花酔ひ」を読んで

kawaiimuku2013-01-25



照る日曇る日第564回

京都の葬儀会社と東京のきもの販売会社の2組の夫婦が巡り合い、ひょんなことからスワッピングするようになるという通俗小説にありがちなよろめきドラマであるが、こういう主題をさかんにとりあげている渡辺淳一と違って、このひとの文章は日本語としてちゃんとしているので、「そういう意味では」安心して読める。

渡辺淳一といえば最近日経に連載している「私の履歴書」のなかで、自分と出来てしまった看護婦を堕胎させたうえに、その逆恨みを懼れつつ他の女性と厳戒体制の中で結婚したなどと得々と述べているが、そんな破廉恥な行状といい、そんな告白をこのような場所で面白おかしく公開するという非常識さといい、その人間性を疑わずにはいられない。

さて話が大きく逸れたが、今回著者が殊の外ちからを入れたのはSMの描写である。最近海外でも女性が描くソフトSM小説がはやっているようなので、さっそく売らんかなとばかりに耳学問でとりこんだのであろうが、マゾに目覚めた男がサドに目覚めた女と激しく行為するシーンは、著者の実体験から「湧出」したものではないにしても、なかなか迫力がある。

それはよいのだが、お互いの浮気によって生じた肉の喜びの落とし所をどこに求めて良いのかに窮した挙句、突如漫画的な事件で無理矢理本編を終わらせたのは問題だ。SMよりも性のむきだしに発情し発条した男女の生の行方は、この小説ではまったくつきつめられてはいないからである。


あきれはてあなはずかしくあじきなしおんなとおとこのせいのむきだし ちょうじん