蝶人戯画録

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佐々木正美他著「わが子が発達障害と診断されたら」を読んで

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照る日曇る日第649回

 

医療の立場から(我が家の恩人でもある)佐々木正美氏、療育の側から海老名わかば園の諏訪利明氏、自閉症者の家族&専門職の立場から横浜市総合リハビリセンターの日戸由刈氏がそれぞれの視点から発言されているが、重度の自閉症者の兄、その兄の為に身命を擲って介護の極点まで到達された母(いずれも故人)という家族のもとで成人された日戸由刈氏の文章を読みながら涙が止まりませんでした。

 

突然トイレに行き服を決まった順序で全部脱ぎ、頭を便器に突っ込み、その後バスタオルで頭を丁寧に拭き、服をまた順番にきちんと着る。もし誰かが途中で誰かが止めればもう一度頭を便器に突っ込むところからやり直すという恐るべき「こだわり」を、この障がいの人々は大なり小なり持っています。

 

このとき大方の親や療育指導者は暴力を用いてでもそれを強引に抑止し、断固として健常児者のようにふるまうように「指導、教唆」するのですが、それはかえって逆効果となり生涯に亘って消えることなく、脳内で増幅拡大再生される精神的な傷跡を蓄積することになるのです。

 

たとえそれがいかなる善意に基づいているにせよ、脳の先天的な機能障がいをもつ自閉症児者を、風邪やガンのように「治そう」としたり、スパル教育的に「改善・善導」することが、いかにナンセンスで、場合によっては致命的な行為であるか。(ほかならぬ我が家の自閉症者もその悲しい犠牲者の一人ですが。)

 

日戸氏がいうように、「平坦ならざる人生を歩んで行く彼らをいたわり、ねぎらい、人間として尊敬を持って遇する」こと。そして「障がいを治そうとしたり、良くしたり、変えようとせず、そのまま彼らを歩ませること」こそ、この器質障がいの持ち主たちに取るべき基本的な態度ではないかと、悪しき親としての自戒をこめて、痛感するのです。

 

 

なにゆえに福田の里より電話しないホームステイの息子よ元気か  蝶人