蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

朝夷奈峠の歌~「これでも詩かよ」第63番

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ある晴れた日に 第201回

 

 

今日も太刀洗へ散歩に行きました。 

朝夷奈峠の三郎の滝を目指して進んでいくと、道の真ん中に茶色いヤマカガシの子蛇がぺっしゃんこになって死んでいました。 

「おい、ヤマカガシ、どうして死んじゃったんだ?」と尋ねますと、

「川の水を飲もうと思って這っていたら車に轢かれてしまったの」と恨めしそうな上目を見上げましたので、私は「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、うらめしかろうが成仏しなさい」と言って、また先に進んで行きますと、

今度は大きなオニヤンマが道のはじっこで死んでいました。 

そこで「おい、オニヤンマ。お前はどうして死んじゃったんだ?」と尋ねますと、「近所のいたずらっ子に網で捕まえられて、お尻から麦の穂を突っ込まれて、そのうえ目玉をもがれて、死んじゃったの」と目玉をぐるぐる回し続けているので、私は「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、うらめしかろうが成仏しなさい」と言って、また先に進んで行きますと、今度は2002年に亡くなった愛犬ムクが道のど真ん中で死んでいます。 

驚いた私が、「おい、ムク。お前はどうしてこんなところで死んでるんだ? お前のお墓はうちの庭だろう?」と尋ねますと、「ワンワン、まことさんお久しぶり。皆さんお元気ですか? 僕も元気です」と訳の分からないことを言ってまた死んでゆきましたので、私は「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、うらめしかろうが成仏しなさい」と言って、また先に進んで行きますと、もうそこは朝比奈三郎の滝でした。 

滝の周囲には15名の工芸大の若者たちがしぶきにぬれながら卒業制作の映画「暁に死す」を撮影中でしたので、私はそおーと本番中の現場を通り抜けて鬱蒼と樹木が茂った急な坂道を上ってゆきますと、谷戸の矢倉の奥に30年前の8月10日の花火大会の日から行方不明になって失踪したきりの早稲田大学文学部3年生中村梅子さんがもうミイラのようになって死んでおりました。 

「梅子さん、梅子さん、こんなところにいたのですか。きっとあなたのお母さんがあなたのことを心配していますよ。早く戸塚のおうちに帰ってあげなさい」と私が言いますと、梅子さんはとても悲しそうな顔をして、「どんなにそうしたかったことでしょう。でも私それができなかったの。それにお母さんはもう死んでしまったの。ああ、私あの日まっすぐ材木座の海岸へ行けばよかったんだわ。 


それを護良親王のお墓のある「首塚」に行ったばっかりにこんな恐ろしい目にあってしまって。私は「神隠し」にあってしまったの。お母さん、お母さん、たった二人だけでも楽しく暮らしていたのに…」と死んだはずの梅子さんはよよと泣き崩れるので、私は「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、うらめしかろうが成仏しなさい」と言って、また先に進んで行きますと、少し進んだフラワースポットの左側の丘の草っぱらの中でまた誰かが死んでいます。 

今度は若い女性ではなく年齢不明の醜い男が、まるでランボーの詩に出てくる兵隊のようにだらしない格好で死んでいるので、「おいおい、お前さんも神隠しかね」と声を掛けると、 

その醜い男は私でした。 

 

 

なにゆえにちゃんと耳が聴こえ作曲しない音楽家が現代のベートーヴェンなの 蝶人