蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

アリス・マンロー著小竹由美子訳「ディア・ライフ」を読んで

 

 

照る日曇る日第657回

 

 

全部で14の短編を並べた本年度ノーベル賞作家の、最新にして、もしかすると最後になるかも知れない小説集です。

 

私の亡くなった母や私の傍にいる妻君、あるいは昔の橋本治選手や田舎の女性たちは、よく手編みのセーターや帽子や手袋などを家事の合間に孜々として編み上げ、それを誕生日の贈り物にして夫や恋人や子供たちに小さな驚きと喜びを与えていましたが、マンローの短編の風合いもちょっとそれに似ているところがありますね。 

 

ただし彼女は生きて行くうえでどうしても編まねばならない自家製のホームスパンを、他人じゃなくてほかならぬ自分自身のために、長い時間と手間暇をかけて一針一針刺していく。そしてそこには、彼女の喜びと悲しみが、汗と涙と共に縫いこめられているようです。

 

だからアリス・マンローを読むということは、私たちが彼女が丹精込めて編み上げたセーターを今日のような寒い冬の夜に着るようなもので、読み進むに従って彼女の心の優しさと暖かさにいつのまにか包まれてゆくのです。時折は人世の厳しさと無情の想いに胸ふたがる瞬間があるとはいえ。

 

残念ながらマンローその人の高齢化ゆえか、往年の作品の完璧ともいうべき完成後の高さに比肩するといささか劇性の焦点深度が浅くなりつつあることも指摘せざるを得ませんが、わが敬愛する小竹由美子さんの翻訳は、この北国の炉辺の主婦作家の心の微妙な揺れ動きを、いつもながらにわずかな晦渋の跡もとどめず平成の現代日本語に移し替えていて、見事というほかありません。

 

 

なにゆえに月給500円が400円に下がるのか耕君に謝れ安倍蚤糞 蝶人