サマセット・モーム著金原端人訳「月と六ペンス」を読んで~「これでも詩かよ」第84番
ある晴れた日に第239回&照る日曇る日第710回
金原氏の新訳が出たので読んでみたが、旧訳よりもすらすら読める。
しかしすらすら読めるのはいいことなのか悪いことなのか、
本当はよく分からない。
聖書のことが頭にあるからだ。
私がすらすら読めない旧訳を好むのは、
それが文語体の名文であるからではなくて、
意味が明快な良い翻訳文であるからだ。
共同訳による口語体の新訳はすらすら読めるが、
いわゆる翻訳調の文章もけったくそが悪く、
ちゃんと意味が通らないヌエのような日本語なので
全然読む気がしない。
そういえば最近岩波文庫なども猛烈な勢いで新訳を出し始めているが、
かつての名訳はどうするんだろう。
2種出し続ける余力はないはずだから、
新版と同時に廃本にするのではあるまいか?
いまのうちに旧訳を買っておかないとヤバイかもしれないな、
などと思いつつ、
この文豪モームの超有名なベストセラー小説を
くいくい読んでしまいました。
どこかゴーギャンを思わせる主人公の画家チャールズ・ストリックランドは、
やはりタヒチの絶海の孤島で、傍目には悲惨な、
けれども本人にとっては満足すべき波乱の生涯を閉じるのですが、
息子が売れない絵描きをやっている私には、読むにつれ胸蓋がる一冊でありました。
生前は一枚も売れず、死んでから天才画家と持ち上げられるストリックランドより、
下らない絵でもばんばん売れるストルーヴェのような作家になって欲しい。
そういう切ない親心がひとかけらでも盛り込んであったなら、この文豪の本ももっと売れただろうに、とつい考えてしまう、極東の島国にへばりついている老人でした。
なにゆえに全ての時計広告が10時10分を指している私なら9時半にするのだが 蝶人