蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

シリーズ牧水賞の歌人たち「小高賢」を読んで

f:id:kawaiimuku:20140527103909j:plain

 

照る日曇る日第717回

 

本年2月に急逝した小高賢を特集したオールアバウト本を読む。

 

詩歌の道に暗かった私は、この歌人がどのような人物であり、どんな歌を詠んでいるかも、ましてや講談社の優秀な編集者であったこともなにひとつ知らなかった。この出版社にはなんにんかの知り合いがあったのにと、いまさらながら残念に思うのである。

 

伊藤一彦編集によるこの本、というより1冊の雑誌の中には、故人の作品やエッセイを柱に、旧知の加藤典洋氏による思い出話やわがSNS友の大辻隆弘氏の小論文などがバラエティ豊かに掲載されており、おのずと歌人の人となりが鮮やかに浮かび上がってくるのであった。

 

代表作300首のなかで私の目に留まったのは、やはりリーマン時代の苦闘を赤裸々に詠んだ歌で、「コード17730とわれの身は刻印さるる勤めるかぎり」「わが書架の右上奥の資本論位牌のごとく座り動かぬ」「わが怒りこらえきれざり身のうちを奔る八万四千匹の虫」「たったひとりの反乱と噂されたる会議の果てのわれの屈託」「敗れたる社内戦争のみなそこに裏切りふかく沈みかくるる」「大臼歯衰えはてて抜かれたり噛みしめ噛みしめたりしくやしさ」「ひとに倦みひとを避けつつおやがいの痼疾ふれざる淡きあいさつ」「ボロボロの白骨これが夜を徹し社の行く末を論じたる君」「職棄つるすなわち職に棄てらるる切刃のごとき風はせめ来ぬ」などは、やはり勤め人であった私にも思い当る節のある佳汁ならぬ苦汁ばかりである。

 

家庭にあって「暴力は家庭の骨子――子を打ちて妻を怒鳴りて日日を統べる」と詠んだ家長は、「横抱きにしてベッドまで運ぶ母野菜に近き軽さなりけり」と詠む子であり、「「山姥の素質ゆたけき妻寝ねて正体不明の声発したる」と詠む夫であり、「みんみんが希望のごとくなきはじむ太郎ひとりに万の祈りを」、「平凡で普通がいいとくりかえしいうわが子なりそれもかなしい」と詠む父親でもあった。

 

けれども故人と同じ年に生まれながらまだこの世を漂流している私は、この歌人の「地下鉄の色わけ路線図のどれも皇居をつねに回避し曲がる」「いきるとは生きのびること 大石をさけ小石蹴り生きのびること」「社会主義をスルーしている争論は足腰弱し 思えどいわぬ」などに言い表されている、自他をともに射ぬくようなその透徹した、寂しい人間観にほたほたと胸を打たれるのである。

 

 

なにゆえに良き人は早く死ぬ別に悪き人が長生きするわけではないけれど 蝶人